歴声庵

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渡部由輝著:『数学者が見た二本松戦争』

2011年12月11日 11時50分31秒 | 読書

 タイトルにわざわざ「数学者」と書いているくらいですから、さぞ数学者としての知識を活かした斬新な切り口の歴史解釈を期待したものの、いざ読んでみたら数学者としての知識を活かした記述は殆ど無く、筆者の勘違いした独善的な記述ばかりが目立つ内容でした。また、ろくに史料を読み込んでいない勉強不足の面も目立ったのも特徴です。

 まずタイトルにある「数学者から見た」ですが、筆者はもっともらしく前装滑降銃のゲベール銃や火縄銃よりも前装施条銃のミニエー銃の方が優れている、前装施条銃のミニエー銃よりも後装施条銃のスナイドル銃やスペンサー銃が優れていることを数式を用いて説明しようとしています。しかし数式など使わなくても、それぞれの小銃の構造を見れば、ゲベールよりもミニエー、ミニエーよりもスナイドルの方が優れているのは自明の理です。こんな当たり前の事をわざわざ数式を使って説明しようとしているのは、権威主義に陥っているか、自分に酔っていると言わざるを得ません。また二本松市が県庁になれなかったと言うのを、隣の郡山市や福島市の人口と比較して論じています。確かにこの部分では数式を用いているかもしれませんが、ではこれが戊辰戦争と何の関係があるかと言えば関係なく、筆者の肩書きの(この本に書くに至っての)無意味さを強調されてしまいました。
 もっとも戊辰当時の砲兵の運用が科学技術の結晶で、砲兵指揮官が優れたテクノクラートであり、特に大山巌が戊辰戦争で果たした功績は大きいと言うのを書いたのは優れた識見だと思うものの、残念ながら自慢の数学者の肩書きが活かせたのはこの件だけでした。
 このように本書において数学者の肩書きはあまり活かされず、むしろ目立ったのは筆者の偏った歴史観でした。本書において筆者は当時の各藩、及び各人の動向について色々批評しているのですが、何を勘違いしたのか筆者の価値観で当時の人物や団体に有罪・無罪を言い渡している傲慢な行為でした。歴史を学ぶ者にとっての古典的名著E・H・カーの『歴史とは何か』に「歴史家は裁判官ではない」との文がありますが、この筆者の行為は正に裁判官として、自分の意見を述べる事も出来ない歴史上の人物・団体を裁いているものであり、自分に酔しれている醜悪な行為と言わざるを得ません。
 それでもその判断基準に筋が通った物であるのなら幾らかマシなものの、三春藩や米沢藩を新政府軍の恭順を「裏切り者」と非難する一方で、自分の故郷である秋田藩の新政府への恭順を「ただし筆者も秋田人の一人である。<裏崩れ>などという、”裏切り”を連想させるようなマイナス的表現は使いたくない。むしろ<功績>と言いたい(P88)」と言い放つなど、まさしくダブルススタンダードその物でした。とても羞恥心のある人間の言葉とは思えず、流石は数学者のセンセイは一般人と羞恥心が違うと感心した次第です。
 この渡部センセイの裁判はこれだけに留まらず、奥羽列藩同盟軍が惨敗した第三次白河城攻防戦について、正直いって筆者は、白河戦についてはあまり語りたくない。筆者も東北人(秋田)の一人である。白河戦について語ることは、東北人が西方人に”虐殺された事件”について語るのと、同じようなものだからだ(P64)」と堂々と私情から、史実を書くのを拒否しようとする所などは、この渡部センセイが、歴史を語るに値しない人間だと言う事を表しています。それでも自分一人の主張として抱いているならまだしも、二本松藩士三浦権大夫の苦悩に満ちた決断に対して、二本松人だけは三浦権大夫を<義人>などと称えてはいけない(P179)」と筆者の矮小な価値観を他人に強要するのには、その勘違いと傲慢さにもはや憤りを感じてしまいます。数学者がそんなに偉いのか、そして過去の人物を糾弾出来るほどの知識が自分にあるのかと筆者に問い質したいです。
 実際その独善に満ちた正義感が、歴史の知識に基づいた物ならばまだ矯正のしようがありますが、残念ながら渡部センセイにはその歴史知識すらありません。本書冒頭について世良修蔵を色々批判しており、世良が率いてきた第二奇兵隊の生い立ちについて色々述べた上で、その第二奇兵隊を率いる世良を批判しているものの、この時世良が率いたのは施条銃中間第四大隊第二中隊であり、第二奇兵隊とは何の関係もありません。つまり第二奇兵隊を引き合いに出して、色々偉そうな事を述べている渡部センセイの言葉は全て的外れであり、最早滑稽と言わざるを得ません。基礎史料である『防長回天史』を読めばすぐ判るような事すらも知らないとは、その正義感とは裏腹に渡部センセイの歴史知識はお粗末な物と言わざるを得ません。

 このように本書は読む前は、「数学者が見たと謳っているくらいだから、既存の本とは異なる視点の本に違いない」と期待したものの、いざ読んでみたら「正義感過多、判断力過小」の輩が書いた俗書に過ぎず、残念ながら本書から得た知識や識見は何もありませんでした。
 しかし一方で本書を読んで気付いた事もあります。正直私は今まで「歴史哲学」と言う物に興味がなく、「哲学など暇人の学問」と思っていた嫌いすらありました。しかし本書を読んで歴史哲学を持たずに、歴史書だけを読んでも渡部センセイのようになり兼ねないとの恐怖感を覚えました。この歴史を学ぶに当たっての歴史哲学の大切さを教えてくれた、その一点のみで反面教師の渡部センセイに感謝しています。

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12月10日(土)のつぶやき

2011年12月11日 01時54分49秒 | twitterまとめ
06:50 from Mobile Web
根性が無いので、今から『溝らじ』公開録音に出発。現地の情報が全く判らないので、これが早いのか遅いのかさっぱり判らない(汗)
07:38 from Mobile Web
『溝らじ』公開録音会場到着。現在10人くらい、丁度良い塩梅かな。
10:39 from Mobile Web
『溝らじ』公開録音整理券無事確保。ただし整理番号は100番弱とあまり良くありません(涙) まあ参加出来るだけ良しとしましょうか。とりあえず今回の教訓としては音泉の「抽選」と明記されている場合は、整理券配布30分前に行こう(汗)
10:39 from Mobile Web
RT @itaru_ohyama: 『賊アリ、阪本直柔、中岡道正ヲ刺ス』 http://t.co/Ja1InoIs
13:37 from Mobile Web
『溝らじ』公開録音終了~。“ふきげんよう”のサイコロが見れたり番組は楽しかったものの、7時半から並んだのに、二人の姿が殆ど見えなかったのは悲しい(涙)
by tukaohtsu on Twitter