今まで「会津こそ正義!、薩長は悪!」をスローガンに、会津をひたすら賞賛し、薩長を誹謗してきた星亮一。必要に応じて作家と歴史研究家の肩書きを使い分けて、歴史を捏造し続けてきたこの男が、大鳥の本を書くと言う事で、大鳥好きの身として購入。今まで大鳥の事を調べているなど聴いた事がなかったので、星に大鳥の事が書けるのかと疑問を感じながら読んでみました。案の定、過去出た大鳥関連の本やネットの情報をかいつまんで書いたとしか思えないような、真新しさや面白みを感じられない本でした。しかし一方で、幾ら大鳥をテーマにした本とは言え、大鳥を庇って会津に非がある時は、ちゃんと会津を批判するなど、今までの本と比べると読める本でしたね。
まず本書はサブタイトルに「幕府歩兵奉行」と書かれているだけあって、戊辰戦争史での大鳥に重点が置かれて書かれているのが特徴です。同じ大鳥を扱った本で近年出版された本として高崎哲郎氏の『大鳥圭介~威ありて、猛からず~(08年)』がありますが、高崎氏版が大鳥の前半生(戊辰以前)と後半生(明治以降)の配分がほぼ半々だったのと比べると、星の著書は明らかに戊辰戦争史に傾いているのが判ると思います。ですので戊辰戦争史の大鳥の動向を知りたい人ならいざ知らず、大鳥圭介と言う人物の生涯を知りたい方は、高崎氏の著書を購入するのをお勧めします。
それでは戊辰戦争史での大鳥の動向を知りたい方には、本書は十分かと言うと、戊辰戦争史での記述でも記述のバランスが悪いのが目立ちます。意図的に軽視したのか、「連戦連敗」と言うサブタイトルの為に都合が悪いと感じたのか、大鳥が「勝利した」小山宿周辺の戦闘から、第二次宇都宮城攻防戦までの、初期の野州戦の記述は乏しいです。余談ですが、緒戦の小山宿周辺の戦いで大鳥が勝利している以上、星の「連戦連敗」と言う表現は誤りであり、センセーショナルなサブタイトルにする為に、史実と反する事を書いたと言わざるを得ません。
野州の戦いと言えば、二度にわたる宇都宮城攻防戦がクライマックスだと思います。しかし星はこの第二次宇都宮城攻防戦の記述を、僅か51文字で終らせており(安塚戦も同じくらい)、本書が何を意図に書かれているのかが判りかねない構成と言わざるを得ません。また本書では露骨な捏造はないものの、ミスリードを誘っていると思われる文章が多いのも特徴です。例えば第一次宇都宮城攻防戦について以下の記述があります。「四月十九日、東南から土方支隊と伝習第一大隊、西南には大鳥本隊、北方には会津兵が展開し、宇都宮城を包囲した(P54)」本書には第一次宇都宮城攻防戦に大鳥自身が参加したとの記述自体はないものの、これでは大鳥が第一次宇都宮城攻防戦に参加したと勘違いする人も多いのではないでしょうか。そして気になるのは「土方支隊」と言う記述です。土方歳三が第一次宇都宮城攻防戦に参加したのは確かですが、土方支隊なる部隊は存在していません。新撰組の事を言ってるのかもしれませんが、この時土方が率いた新撰組は多く見積もっても50名足らずで、とても支隊と呼べる規模ではありません。前後の文脈から考えると桑名藩兵の事を土方支隊と呼称しているように思われるのですが、私の知る限り桑名藩兵を土方が率いていたと書いているのって、田辺昇吉氏しかいないのですよね。ひょっとしたら私の知らない桑名藩の史料に、土方が桑名藩兵を率いたと書かれた史料があるのかもしれませんが、巻末の参考文献に桑名藩関連の史料が書かれていない以上、田辺氏の説をあたかも自分の説として書いたか、どこかネット上で土方が桑名藩兵を率いたと書かれていたのを、自分の見解としたと言わざるを得ません。
そして野州戦争の中盤である、今市宿・藤原宿周辺の戦いの記述は、この田辺氏の著書を纏めただけのオリジナリティの無い文章と言わざるを得ません。決して文章丸写しの盗作では無いので、道義的な問題は無いのでしょう。しかし仮にも大鳥の生涯を書こうとする者が、他人の文章を纏めただけの物を、あたかも自分のオリジナルの文章のように書くのはいかがなものでしょうか? 分別があるのならば、田辺氏の著書を参考にしたと「本文中」に書くべきでしょう。
ただしその後の、恐らく星にとっては本書のクライマックスと言うべき、会津戦争での大鳥については意外と言うべきまともな物でした。野州戦争では田辺氏の記述を流用しただけの星ですが、会津戦争ともなると自身の知識が活かせる為か、打って変わってオリジナルさを感じられる内容になっています。母成峠戦と、その前哨戦である山入村戦で、会津藩兵が友軍の大鳥軍(伝習第二大隊)と見捨てて、自分達だけが逃亡。母成峠戦に至っては、自分達(会津藩兵)が逃げる為に、まだ交戦中の伝習第二大隊の後方に火を放ち、この為に退路を遮断された伝習第二大隊の戦線は崩壊したと言う点は避けているものの、それ以外では会津藩兵が放火を多用していた為、領民の反発を招いた事を認めるなど、今までの会津至上主義と考えると、格段の進歩が見られます。特に会津観光史学の一部に、会津戦争の敗因を大鳥に転換する者が少なからず居る中で、「大鳥の心意気を評価すべきだった。数ある幕臣の中で、いったい誰が会津のために命がけで戦ったのか、そこを考慮すべきであった(P129)」の記述は、大鳥をテーマにした著書だからとは言え、評価すべきだと思います。
そして著者の星がクライマックスと捕らえていると思われる箱館戦争ですが、今までの星ならば土方歳三を絶賛して、土方の敗因を大鳥のせいにした気がします。そんな土方の英雄伝説にされている俗書が多い中、本書は大鳥と土方の功績を冷静に評価して、決して土方の英雄伝説にならず、また大鳥を無能扱いもしない、新書レベルでは十分な記述に内容になっていると思います。詳しい方には、二股峠の記述は物足りないかもしれませんが、巷に「土方の美談」と伝えられているエピソードを、出さなかっただけ、まだマシかと。
このように箱館戦争の記述に関しては満足していたら、最後の最後で捏造の悪い癖を出しています。五月十一日の箱館湾海戦で新政府軍の軍艦朝陽が撃沈されますが、これに関して星は「黒田清隆は息を詰まらせ、山田顕義は、ガタガタと膝を震わせた(P162)」との、いかにも「小説」的な表現をしていますが、この逸話は聞いた事がないのですが出典は何の史料なんでしょう。確かに貴重な軍艦である朝陽の撃沈は新政府軍にとって痛手でしょうが、フラッグシップである甲鉄が健在であり、制海権を新政府軍が把握している以上、朝陽一隻の撃沈に黒田と山田がそこまで動揺するとは思えないのですが・・・。まあ星がこの逸話の出典が何か教えてくれれば、この疑念も解決するのですけれどもね。まあ、そんな史料が有ればの話ですが。
そんな戊辰後の明治以降の大鳥の生涯については、淡々と書かれており、よくも悪くも普通の新書レベルですね。高崎氏の著書と比べると物足りものの、清国在勤全権公使の話についても、大鳥の立場について理解した上で書かれており、気持ち良く読める記述でした。
このように本書は、相変わらずの自身の思い込みで書いた、歴史書なのか小説なのかハッキリしない物ですが(尚、本書は「作家」としての肩書きで書かれています)、会津や薩長が中心で書かれていない為に、他の星の著書に比べれば大分読める物になっています。ただ個人的に読んでいて幾つか解せない部分があったので、最後にそこについて書かせて頂きます。
まず星と言えば、今まで薩長を仇敵のように憎み、決して「官軍」や「新政府軍」とは呼ばず、「薩長軍」と呼称しているのは有名ですが、今回は呼称が違う場合があるのが特徴です。具体的に言うと「薩長軍」「征討軍」「新政府軍」の三つが使われていますが、章によって呼称が変わり、しかも征討軍と呼んでいたかと思えば、次の章では薩長軍と呼ぶなど、決して新政府軍の組織変更に合わせて呼び方を変えている訳ではないので不自然なんですよね。「征討軍」「新政府軍」と言った呼称は、明治新政府の権威を認める事となり、これまで明治維新を否定し続けていたアイデンティティを否定する事になるので、星がこれらの呼称が使うとはとても思えません。そう、それこそ別のライターが書いたか、編集が書き直しをしない限りは・・・。
気になる点のもう一つは、今回は大鳥を評価する為に会津の非を認めているのが特徴です。しかし、そのままでは会津が自身の責任で敗れた事に繋がる事になります。そして、それを避けたい意図があったかは不明なものの、今回星は新たに会津の敗因を転換する相手を発見します。それが米沢藩です。とにかく、これだけ会津の不利になる史料を指摘されて、それから逃れる事が出来なくなった鬱憤を晴らすかのように、本書はとにかく米沢藩に対して否定的です。まあ大鳥自身が、米沢藩に対する否定的な文章を南柯紀行に残しているので。仕方ないかもしれませんが、それにしても本書の米沢藩に対する攻撃は異常です。
しかも不思議な事に、『奥羽越列藩同盟』の時は、千坂高雅の事を副総督と書いたり、五十騎組の事を五十人と勘違いするなど、米沢藩の事についてろくに知識が無い事が露呈した星が、本書では米沢藩の内部についてちゃんと理解しているんですよね。しかも「不思議」な事に米沢藩の軍事に関しては理解しているようなのに、何故か政治部門は相変わらず理解していないのですよね。不思議ですね~。前述のように田辺氏の見解を、あたかも自分の見解のように書いている星は、一体いつ「何」を見て米沢の事を調べたのでしょうね~(^^;)
最後は「あとがき」について。本書の執筆に協力頂いた方々として、大鳥の故郷で研究活動をされている方々を紹介されているのですが、その中にどさくさに紛れて自分の側近である研究家でもない高橋美智子の名を、あたかも研究家の如く記述しているのです。恐らく高橋美智子の権威付けの為に書いたのでしょうが、これでは事情を知らない人の中には高橋美智子の事を、大鳥の研究家と勘違いする方も出るでしょうからミスリードを誘っているとしか思えません。結局星はこのあとがきで、高橋美智子の事を宣伝したかっただけと言わざるを得ません。
追記(11/5/22)
この感想を読んだ方から、協力者と言うのは執筆に協力した人物で、必ずしも歴史の知識を持った人間でなくても構わないとのご指摘を頂きました。「協力者=歴史の知識がある人物」と言う思い込みがあったので、星のあとがきに憤りを感じてしまいましたが、歴史の知識が無い人物でも協力者になると言うことでしたら、高橋美智子が協力者でもおかしくはありませんので、私の感想が不適当だった事をお詫びすると共に修正させて頂きます。
以上が私の本書に対する感想です。私としては、星の著書としてはかなり肯定的に書いたつもりですが、許せないと思う星ファン、及び会津観光史学の徒達も居るでしょうから、本感想が不満なら、どうぞ反論して下さい。ただ私は「歴史」の話がしたいので、反論するなら、ちゃんと根拠となる史料を提示して下さいね。私も史料を用意して待っていますので、有意義な史料批判をいたしましょう(^^;)