歴声庵

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都内散策 ①

2011年05月28日 16時52分43秒 | 登城記・史跡訪問

 先週の土曜に、デジカメを新調した事もあり、出かけたついでに、都内の気になる史跡を散策してきました。
 まず始めに行ったのが、千代田区紀尾井坂に建つ大久保公哀悼碑です。



 明治二年五月十四日、当時の日本の事実上の指導者だった大久保利通公が、石川県士族である島田一郎等6人のテロリストに襲撃され暗殺されました。後年に利通公を知る有志達によって建てられたのが、この碑です。
 当サイトは戊辰戦争を中心にしているので、利通公に触れる機会は少ないですが、明治維新を主導した清廉潔白であり卓越した手腕を持った、日本史上最も優れた政治家だったと思っています。



 歴史に「IF」は禁句ですが、もし利通公が暗殺されずに、その後も日本を主導したら、良いか悪いかは判らないものの、その後の日本は今とは違うものになったのではないかと言うのは、殆どの方が納得すると思います。
 尚、私が紀尾井坂を訪れた当日は、海外の要人が紀尾井坂付近に建つホテルニューオータニを訪れていた為に厳戒態勢であり、見るからに不審者の私は三度も職質されました(汗)

 紀尾井坂を離れて、続いては旧江戸城の桜田門へ。別に桜田門外の変を調べに来たのではなく、桜田門のすぐそばの米沢藩江戸藩邸跡(上屋敷)へ。



 実はここを訪れたのは、今回が初めてです。存在そのものは知っていたものの、江戸藩邸その物が、米沢藩の戊辰戦争史には直接関わっていないので、今までスルーしていました。しかし今回デジカメを新調したので、記念にと思い撮影に行った次第です。尚、この江戸藩邸上屋敷の増築の際は、忠臣蔵で有名な吉良上野介義央が関わっており、そのような意味では歴史的に色々面白い場所なのかもしれませんね。
 それにしても、初代藩主である上杉景勝公が、この土地を幕府から譲られたのは、当然関ヶ原の戦いの後です。ある意味関ヶ原の戦犯と言っても良い景勝公が、江戸城のすぐ近くの一等地に藩邸を与えられたと言うのは驚きでした。この土地を譲られた経緯を調べたら面白そうなので、いつか調べたいと思います。
 これからは戊辰戦争に関係がなくても、米沢藩関連の史跡は回るつもりです。とりあえず次は麻布の江戸藩邸中屋敷跡かな。