歴声庵

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米沢藩の戊辰戦争における参戦理由 その3

2010年03月22日 19時53分23秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 半年ぶりの続きとなります。元々この項目を書き始めたのは、『歴史評論631巻(02年)』に掲載された上松俊弘氏による「奥羽越列藩同盟の成立と米沢藩」に書かれた、「甘粕継成が主導する軍政府が新政府軍との開戦を主導した」の説に感銘を覚えて、以来この説を私も支持するようになりました。ただ同じ米沢藩の戊辰戦争を調べる身としては、単に支持するだけではいけないと思い、自分なりにこの仮説の根拠と出来る史料を探してみようと言うのが、きっかけです。
 ただ上松氏が根拠とした『米沢藩士 甘粕継成日記』は東大史料編纂所に所蔵されている為、アマチュアである私では見る事は出来ないので、他の史料から米沢藩軍政府の存在や、甘粕らの軍政府主戦派が新政府との交戦を決定した記述を探そうとしたのが、「その1」・「その2」・「千坂高雅について」の記事です。
 昨年の秋から野州戦争第三章の記事を書いていたので一時中断してしまいましたけれども、今年に入ってから色々探してみたものの、中々軍政府について書かれた史料は見つかりませんでした。しかし灯台下暗しとは正にこの事か、米沢藩を調べる者には正に基礎中の基礎史料である上杉文書の中に、思いっきり軍政府の事が書かれた史料がありました。しかも自分が過去コピーした中に(汗) 自分の愚かさにあきれ果てたものの、軍政府の存在を裏付ける史料を見つけて喜んでいます。
 上杉文書とは明治期に上杉家から、米沢藩関連の文書の編纂を任された、郷土史家の故伊佐早謙が編纂した物で、この中の上杉文書(マイクロフィルム版)第173巻に収録されている『戊辰紀事』に軍政府の事が記述されていました。この『戊辰紀事』は、前述の伊佐早自らが纏めた米沢藩の戊辰戦争に対して書かれた全11冊の著書で、一次史料を編纂した者自らが書いた物と言う事で、ある意味『防長回天史』に近い存在と言って良いと思います。実際mixiの『戊辰役戦史』コミュにても「裏付けが取れる史料」があれば二次史料と考えても差し支えないとの返答を頂いています。元々軍政府の存在については『米沢藩戊辰文書』にその名が書かれている書状がたくさん収録されていますし、『史談会速記録』内の千坂高雅の口述筆記にもその名が書かれているので、その存在は間違いないので、『戊辰紀事』の軍政府に対する記述は裏付けが取れていると思います。
 そのようなわけで裏付けが取れた『戊辰紀事』内の軍政府に対する記述を纏めたいと思います。正確な引用については、後日正確な引用が含まれた記事を、本サイト内で作成させて頂くとして、今日のブログでは単に要点を纏めさせて頂きます。

『戊辰紀事』より
 ①慶応四年四月五日に千坂高雅が軍務総督に就任し、軍事に関する全ての権限を一任される。同日甘粕継成も軍務参謀に就任。
 ②同九日に家老毛利上総の屋敷に軍政府が発足し、千坂・甘粕以下の人事が任命される。ここで改めて軍事に関する建言を、藩政府から分離して、軍政府が一任する事が明言される。

『史談会速記録』内の千坂高雅の口述筆記より
 ③千坂が出羽に出兵中に色部長門(家老)・中条豊前(二の手大隊長)・若林作兵衛(中老)・小林五兵衛(御勘定頭)・甘粕継成(軍務参謀)・斉藤篤信(小隊長、後に仮参謀に昇進)が越後出兵を決定した。
 
 この内、米沢藩が新政府軍との開戦を決定したのは、大山格之助とオマケの公家(沢為量)が率いる奥羽鎮撫総督府の別働隊を追って、千坂が本庄昌長大隊を率いて新庄方面に出兵中の最中であり、千坂が開戦の決定に関わっていないと言うのは信憑性が高いと思います。千坂が関わってないと考えると、残りの軍政府のメンバーが開戦を決定した確立が高いと思われるものの、その後の各人の動向を考えると、色部と若林が開戦を主張したとは思えません(むしろ二人とも非戦派)。小林に関しては他の史料では名前を見ないので判らないもの、少なくても主戦派として名前を聞かないので、実質参戦を主導したのは甘粕・中条・斉藤の三人ではないかと思っています(勿論これには奥羽越同盟の発足の影響が大きいと考えられます)。
 この様に『戊辰記事』と『史談会速記録』と『米沢藩戊辰文書』の三つの史料を比較検討する事により、米沢藩の参戦は甘粕一人が主導したとは言い過ぎでも、甘粕を中心とする軍政府主戦派が主導したと言う仮説を成り立てる事が出来るのではないでしょうか。
 
 このように米沢藩参戦のカギは甘粕が握っているのは間違いないと思うものの、そうなると『米沢藩士 甘粕継成日記』が読めないのは辛いです(汗) ただ今回上杉文書のリストを読み直してみると、甘粕と同じく主戦派である斉藤篤信自身による回想録も上杉文書が収録されているらしいので、これをコピーする事により、今までの甘粕一辺倒の視点とは別の視点により、米沢藩の参戦理由についてアプローチしたいと思います。
 予断ですが、後年教育者になっただけあって斉藤は、古文の知識が無い私が見ても読み易い字で、回想録を書いてくれているので助かります。