歴声庵

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母校訪問

2010年03月10日 00時24分38秒 | 雑記

 人生面白いことがあると実感したお話。

 先日、職場にて営業から修理機を預かったので、ユーザー名を見てみると何と母校の名が。十年位前に一度母校訪問をしたのですけれども、春休み中だったので殆ど先生が会えなかった事もあったので、これは久々に母校を訪問するチャンスと考えて、山梨担当の営業を引き連れて行く事となりました(名目は修理機納品と、営業活動)。
 しかし母校を訪問するのは実に18年ぶり。知ってる先生が一人も居ない可能性もあるので、もし居なかったら後は営業に任せようと考えて、母校に足を踏み入れました。とりあえず窓口として事務局に挨拶すると、対応してくれたのは若い男性。どう見ても私より年下なので、私の事を知ってる訳がないと、卒業生である事を告げると「しばらく待って下さい」と言われて、待っていて出てきた事務局長は、私の在校時の先生でした。懐かしく思い「お久しぶりです」と挨拶すると、向こうも「大塚か、懐かしいな」と歓迎してくれて、ここでムードは一転、扱いが「取引業者」から「身内」に一転しました。
 しばらく話した後、現事務局長に連れられて職員室へ。何と三年時の担当が副校長先生になっていました。更に在校時に親しくさせて頂いた先生(当時剣道部顧問、私は柔道部)が教頭になっており、これまたびっくり。かくして応接室で先生三人としばし会談、私の近況や母校の近況などを話させて頂きました。ちなみに気になったのは先生方は私を「大塚」と呼び捨てなのに、一緒に来た営業には「さん」付けで敬語で話しているのが気になったりして。まあ親しい故の呼び捨てなんでしょうけどね、実際営業も後日「自分だけ蚊帳の外の気分でした」と言ってました。
 その後、当初の目的である修理機の納品がてら使用方法を説明しようと寮に移動。この道中にも知ってる先生と再会したり(二年時の担任)、お世話になっていた先輩が教員になっていたりなど驚きの連続で、持ってきた名刺が全部無くなってしまうほど、びっくりするくらいお世話になっていた先生方が健在でした。そんな懐かしい想いをして母校を去ったのですけれども、今後もっと現在勤めている会社の機械を母校が導入してくれれば良いのですけれどもね。もしそうなれば母校に顔を出す口実が出来るのですが(^^;)

 そのような訳で、人生生きていると色々面白い事があるなと、実感したお話でした。