歴声庵

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昨年の感想&今年の抱負

2010年01月09日 23時31分41秒 | 雑記

 先日書いた通り、昨年の年末は体調不良により寝込んでいたので、2009年を振り返る、及び2010年の抱負と言うのを書けなかったので、今更ながら書かせて頂きます。
 まず一昨年の転職以来ずっと続いてきた忙しさも、昨年末にようやく増員されたので、今年は趣味に割ける時間が増えると信じています。増えると良いな・・・。

 さて昨年末に何とか野州戦争第三章の記事を更新する事が出来ました。元々この記事は2008年中に完成させるつもりだったものの、仕事の忙しさにかまけて中々完成出来ずに、結果二年近く経ってしまいましたね。そんな野州戦争第三章が終った事ですし、今年はどのテーマに挑戦しようかなと考えている今日この頃です。一応野州戦争に関連する、第三次白河城攻防戦の記事の書き直しを最優先と考えているものの、その次が迷っているのですよね。
 その中で一つ考えているのが、数年前から興味を持っている、北越戦争の最中で発生した巻・曽根一揆です。「小説家」司馬遼太郎の影響により、過大評価されがちな長岡藩軍事総督河井継之助ですけれども、いざ史実の北越戦争を調べてみると、第一次長岡城攻防戦で長岡城を失って以来、その長岡城を奪回する第二次長岡城攻防戦までの戦いでは、長岡藩兵はあまり戦闘に参加していないのですよね。それこそ長岡周辺の戦いと言いながら、新政府軍と戦った同盟軍の主力は米沢藩兵だったと言うのは、当サイトの北越戦争の記事でも書かせて頂いています。
 では本来、死に物狂いで新政府軍と戦うべきだった長岡藩兵が北越戦争中何をしていたかと言うと、前述の巻・曽根一揆の対応に忙殺されていた模様です。つまり長岡藩兵の銃口は「明治新政府軍」ではなく、「領民」に向けられていたと考えています。
 しかし半ば観光史学化されている、長岡藩関連の本ではこの巻・曽根一揆は殆ど触れられていないと言うのが現状です。一応北越戦争をメインコンテンツとしている当サイトとしては、もう一つの北越戦争として、この巻・曽根一揆を今年のテーマにしたいと思っています。