歴声庵

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最近の、反会津層の増加と傾向に対する懸念

2009年07月19日 19時26分04秒 | 雑記

 今回の記事は先日書いた「ウィキペディアと戊辰戦争」の続きになっています。
 さて先日の記事で会津信者の傾向について書かせて頂きましたけれども、最近気になってきたのが、反会津層の増加と傾向に対する懸念です。昨年末に会津贔屓の「小説家」早乙女貢が亡くなった事を書かせて頂きましたけれども、その際に「会津の虚構(捏造)は近い将来崩れ去るのでは」と半ば期待を込めた文を書かせて頂きました。そして年が明けて今年になり、期待してた通り次第に会津の捏造を指摘する人が増えてきました。最初の内はやっと幕末維新史が会津の捏造から解放されると喜んでいたものの、最近になって増加してきた反会津層の言動を聴く内に違和感を感じるようになってきました。何と言うか最近増加する反会津層は、感情的に会津を批判するだけで、基本的に会津贔屓と同じく歴史を語らない(語れない)のですよね。
 会津贔屓の当人達に自覚が有るのか無いのかは別として、彼が掲げる会津の正義が単なる捏造(これについては当サイトで今まで散々書いてきたので、会津贔屓の人はまずそちらを読んでから反論して下さい)な以上、彼らが学問的な史料批判に対抗するには、史学的な議論を避けて感情論に訴えるしかありませんでした。しかし最近増加している反会津層もまた感情論ばかりで、史学的な批判をしないのですよね。と言うより史学的な批判が出来ないではとの疑問が沸いてきます。それこそ「会津は歴史を捏造している」と糾弾しておきながら、普通に幕末維新史を学んでいれば、知っているような基本的な知識が無いように伺えます。
 この最近増加している反会津層は、元々星亮一等の「小説家」の捏造を真に受けて「会津の正義」に酔っていた、もしくは会津に自分を重ねてアイデンティティを保っていた元会津信者が、何らかにより会津の捏造を知り、怒りの余りに反会津層に転じたと考えられています。そして元々歴史を知らない会津信者だったからこそ、反会津に転じても歴史を語れない、または歴史を語ってもそれはネット上に書かれた事の引用であり、自分で調べたと思えるような発言が無いのではないでしょうか。
 そして今や主にネット上では、歴史を語れない会津贔屓と、同じく歴史を語れない反会津層が争っていると言うのが現状です。しかしこの現状を歴史に興味が無い人が見たら、会津信者と反会津層は同じレベル、いえむしろ会津贔屓と薩長贔屓が同じレベルと思われるのではないかという懸念を抱いています。それこそ、これはあくまで私の想像ですが、史学的な議論では勝ち目が無いと思った会津贔屓が、「会津も捏造しているが、薩長も歴史を捏造している」と世間に思わせる為の自爆テロなのでは穿ってしまうほど、最近増加している反会津層は会津贔屓と同じくらい歴史を知らないと感じています。

 このような会津贔屓と反会津層が同じレベルで論争している現状に対して、私は会津の歴史捏造を批判するのは当然なものの、その手法はあくまで学問的な史料批判によって行われるべきで、決して会津と同じレベルの感情論で行ってはいけないと思っています。もし仮に感情論で会津を屈服させたとしても、「負け組に共感し、勝ち組に嫉妬する」日本人の琴線に触れる会津の怨念は必ず蘇り、また歴史を捏造するでしょう。会津が二度と歴史を捏造しないようにするには、あくまで学問の力で会津の捏造を叩き潰して、幕末維新史を会津の怨念から解放しなくてはいけないと思っています。
 だからこそ最近の、会津と同じく感情でしか歴史を語れない反会津層の増加は、幕末維新史を会津の怨念から解放する念願にとって、むしろ逆風になるのでは・・・と懸念している次第です。

 以上、二回に渡って会津贔屓と、最近増加している歴史を語れない反会津層に対する私の想いを書かせて頂きました。本当なら夏コミ新刊の宣伝を兼ねて、会津贔屓に対する宣戦布告もしたかったのですけれども、まだ発行元の許可を貰っていないので、それはまた今度にしたいと思います。
 ただ前回と今回の記事に気分を害されて、後日の宣戦布告を待てない会津贔屓の方が居ましたら、各種史料や先行研究、各市町村史を用意してお待ちしていますので、コメントをお待ちしています(^^) 出来れば先日書き込んでくれたほげ様が再コメントしてくれれば嬉しい限りなのですが・・・。