歴声庵

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市川行軍

2008年08月10日 19時11分23秒 | 登城記・史跡訪問

 先週の話となりますけれども、大鳥圭介の江戸脱走から市川宿までの足取りを辿ろうと、いつもお世話になっている天下大変の入潮さんと、大鳥が本多や大川等の側近達と合流した江戸法恩寺から、他の旧幕府軍と集結したと思われる市川弘法寺大林院跡まで歩いてみました。大体15キロ位の行程だったので、出かける前は何とかなるだろうと思っていたのですけれども、昨今の温暖化による真夏の炎天下を甘く見ていた為、何とか歩ききる事は出来たものの、すっかりヘロヘロになってしまい、自分の体力不足に自己嫌悪を感じてしまいました(涙) このような失態が無いように体力作りとダイエットに励みたいと思うものの、同時に真夏の史跡巡りは危険だと思った次第です(汗)

 まあ私の体力の無さの話は置いておいて、大鳥達旧幕府軍が集結したと思われる市川弘法寺大林院跡を訪れる事が出来たのは感慨深かったです。ここを後にした大鳥軍は二手に分かれて北上を開始して、これにより新政府軍と大鳥軍との野州戦争が始まったのですから、野州戦争開始の地と言える市川弘法寺大林院跡を訪れる事が出来たのは本当に感慨深かったです。
 ところで、今まで市川弘法寺大林院を旧幕府軍の集結の地と書きましたけれども、この旧幕府軍集結の地には諸説があり、新人物往来社の「土方歳三の35年」には、弘法寺近所の総寧寺が集結の地と書かれていたりします。このように諸説があるため、私自身今まで集結の地が判らなく、弊サイトの野州戦争の記事でも集結の地については場所を記述していませんでした。しかし今回同行して頂いた入潮さんから見せて頂いた山崎有信編による「南柯紀行」には、山崎自身が大鳥から聞き取りをした上の「弘法寺大林院跡」との編注が入っており、旧幕府軍が合流したのは弘法寺大林院跡だったと言うのは非常に信頼性が高いと思います。尚、この弘法寺大林院跡以外でも山崎はたくさん編注を入れているので、私が所有している新人物往来社版の「南柯紀行」よりも、よほど判りやすく重宝すると思いました。う~ん普通この手の資料を刊行する場合は、後から刊行した方が親切なものですけれども、この「南柯紀行」に関しては、先に刊行した方が親切な構成になっていると言う不思議な状態なっています。

 何はともあれ、旧幕府軍集結の地まで自分の足で歩いた今回の行軍は、良い経験となりました。今回の行軍で撮影した画像も何枚かありますので、この盆休み中に野州戦争前編の記事に追加して、記事を補足したいと思います。