歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

米沢戊辰戦争略記

2007年10月13日 22時22分45秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 先日ネットオークションで入手した、20ページ足らずの小冊子です。米沢藩の歴史を調べている置賜郷土史研究会の発行という事で落札したものの、僅か20ページ足らずでは大した事は書かれていないだろうと、正直読む前は思っていました。
 実際読んでみても、米沢藩兵の小隊が30人で構成されていたとか(実際には十数人の小隊もあれば、五十数人の小隊もある、定員すら確立されていない名前ばかりの小隊編成)、同じく大隊は10個小隊で構成されていたとか(これも6個小隊による大隊もあれば、十数個小隊による大隊もあった)誤りが多く、また北越戦争の概略も内容が薄いなど正直資料としてはあまり役立たないものでした。
 しかし一方で平潟方面という、米沢藩から見た戊辰戦争史の中では、従来殆ど注目されていなかった戦線について書かれていたのには驚きました。この本によれば平潟口に応援に赴いたのは、越後戦線に派遣されていた江口縫殿右衛門大隊(6個小隊)という事だそうですけれども、言われてみれば確かに江口大隊の名前って途中から見なくなりましたね(笑) 私はてっきり江口大隊は分割されて、所属の小隊は大井田修平大隊か高坂勘解由大隊に編入されたと思っていたのですけれども、そうですか平潟口に派遣されていたのですか・・・。これが判っただけでも、この本を落札した価値はあったかもしれません(笑)
 ところでどの本を読んでも、平潟口に派遣された米沢藩兵の評判は悪いので、私はてっきり急ごしらえの農兵隊が派遣されていたと思っていました。しかし実際に平潟に派遣された米沢藩兵は、栄光ある五十騎組(藩祖上杉景勝公の旗本衆の子孫)による江口大隊と書かれているのを読んで、栄光ある五十騎衆があのような醜態を見せたのかと、読み終わって頭が痛くなってきました・・・(涙)