歴声庵

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長岡紀行三日目

2006年09月17日 23時00分16秒 | 登城記・史跡訪問
 長岡紀行も三日目、本日が最終日です。そんな最終日の今日はホテルをチェックアウト後再び市民センターで自転車を借りて南下を開始、今日の目標は長岡市南方の小千谷です
 小千谷には初めての新潟訪問の際に訪れたのですが、その後にあの中越大震災が起きた為、その後は小千谷に行ってなく今回が震災後初めての小千谷訪問となりました。
 そんな訳で自転車に乗り小千谷に出発、当時の主街道沿いに南下して、第三次長岡城攻防戦の際に新政府軍の妙見方面軍と長岡軍守備隊が激突した浄土川周辺に寄って、その後に榎峠古戦場跡に向かいました。

 こうして榎峠古戦場に着いたのですが、驚いたのが榎峠古戦場から小千谷駅まで向かう三国街道が未だ復旧工事中だったのを見て、改めて震災の被害の大きさを実感しました。
 かくして三国街道を通過出来ない為、一旦北上し越の大橋を渡ってそこから小千谷市内に入りました。小千谷に入ってまず目指したのが、ご存知河井と岩村が会見した慈眼寺です。あちこちのサイトから慈眼寺は震災で大被害を受けたと聞いていたので、ある程度は覚悟していましたが、すっかり建て直されて当時の面影は無くまるで新築の寺のようになっていた慈眼寺を見たのは流石にショックでしたね。これだと寺内の損害も大きそうですが、北越戦争を調べている身としては一度は会見の間を訪れてみたかったので残念です。

 そんな慈眼寺を後にして次は船岡山公演へ、ここには初期の北越戦争で戦死した新政府軍将兵の墓地があるのですが、ここも震災により多くの墓標が倒れたと聞いていたので、心配に思っていましたが、今回訪れた際には幸いにも全ての墓標が復旧していました。こうして復旧した新政府軍墓地を墓参して、時山直八の墓に線香を置いて船岡山公演を後にしました。

 本当はこの後は片貝の古戦場を訪れるつもりだったのですが、三日間の強行ですっかり体力を消耗してしまったのと、歳による体力の衰えから片貝に行く気力は既に無く、ここからヘロヘロと長岡に戻りました。余談ながら余程ヘロヘロだったのか小千谷市内から長岡に帰るまで二時間かかりました(汗)

 こうして今回の長岡紀行は終了しました、終わってみれば北は見附市から南は小千谷市までの北越戦争での主要な史跡は周れましたし、長岡市立図書館で貴重な史料を見れましたし、実りある充実した取材旅行でした(^^)