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【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業3 アメリカ初体験 3-2 キュンとしたりトロトロしたり

2024-01-12 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説風】竹根好助の経営コンサルタント起業3 アメリカ初体験 3-2 キュンとしたりトロトロしたり 

 

■ 【小説風】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

【最新号・バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック

■■ 3 アメリカ初体験

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆3-2 キュンとしたりトロトロしたり

 空港で長田係長が封筒を渡してくれたことを思い出した。
 開いてみて驚いた。封筒の裏に相本と書かれていた。胸のときめきという言葉を知っているが、これほど苦しくなるとは思っても見なかった。相本は、これで竹根の秘書的な仕事をしてくれていた女性社員である。
 アメリカに行くと、日本の状況を知る機会が少ないので、新聞ダイジェストという週刊誌を購読し、それをニューヨークまで送ってもらうことにしていた。出版社でも海外への送付サービスを行ってくれるようであるが、竹根には下心があった。ニューヨークに毎週送ってもらうことにより、相本とのわずかな関係を続けられると読み、出国前に相本にそれを頼んでいた。
 せっかくときめかせた相本からの手紙であるが、その依頼を確認するだけの短いメッセージであった。それでも、相本が書いた達筆な字は、竹根に何か暖かい物が届けられた気分であった。

 九時間もの飛行機の初旅は、気苦労もあり、疲れを覚えた。ところがいざ眠ろうとすると眠れない。やっとトロトロとしたところで、また食事の時間である。飛行機の上で座ったまま動かないこともあり、また、先ほどの夕飯から四時間も経っていなかったので、お腹はあまりすいていない。
――これも航空運賃に含まれているのだから、食べないともったいない――そのような貧乏根性で食べ始めたが、サンドイッチ程度の軽食ではあったものの、さすがに全部を平らげることはできなかった。コーヒーも一杯でやめにした。
 サンフランシスコに着くまで、さらにもう一回食事が出たが、さすがに最後はほとんど手をつけられなかった。しかし、生まれて初めて飲んだトマトジュースやリンゴのジュースは、これからのアメリカでの食生活に期待が持てた。アメリカの『洋食』生活がどのような物かを知らない竹根には、それが「知らぬが仏」であることを、そのときが来ないとわからないのである。

  <続く>

■ バックナンバー

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