経営コンサルタントへの道

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■【経営コンサルタントのひとり言 今日は何の日】2月3日 節分は豆まきは知っていても、どの様な行事かを知らない人が多い

2019-02-03 11:45:34 | 今日は何の日

【経営コンサルタントのひとり言 今日は何の日】2月3日 節分は豆まきは知っていても、どの様な行事かを知らない人が多い

 一年365日、毎日が何かの日です。
 季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。
 これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。
 独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

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■ 節分、豆まき(年により日付が異なる)

 節分は、二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前日のことですが、江戸時代以降は、立春から春が始まるので、その前日を節分といい、文字通り季節の分かれ目を指します。

 節分は、寺社行事の中でもわれわれに親しみのわく豆まきという行事が行われる日です。「福は内、鬼は外」と大きな声を出すしきたりですが、まず鬼を追い出してから福を入れるために「鬼は外、福は内」という方が理にかなっていると聞いています。「福は内、鬼も内」という地方もあるそうですね。

 豆まきが終わると、自分の年より1粒多い豆を食べるのも風習ですが、われわれ年寄りには苦行です。そこでピーナッツ1粒を炒り豆10粒と計算して、端数の炒り豆とピーナッツを食べるようにしています。これ、内緒。

 節分祭は、成田山新勝寺など有名なところは多数あります。東京に住む私には、福岡市にある東長寺の「節分大祭」は知る由もありません。しかし、ちょうど節分の時期に(特)日本経営士協会九州支部の研修会が開催されることが多く、偶然東長寺の前を通り、節分の豆を拾う様子を見たことがあります。

 ちなみに、葛飾北斎の「節分の鬼」という絵があると聞いています。栗で有名な、長野県小布施市にある北斎館には、有名な竜や鳳凰の天井絵があります。富岳百景の波のような男浪と女浪という天井絵も飾られています。

 一方、中国をはじめ中華件では「春節」と呼ばれる旧正月に数日間はいります。日本とは異なり、旧暦のこの正月が最も重要な祝祭日に当たります。

■ 修二会 

 2月7日まで。ただし、奈良東大寺の二月堂で開かれる修二会は3月1日。

 修二会という言葉は、外国では見つからず、その起源ははっきりしていません。旧暦1月に行われる法会は修正会(しゅしょうえ)というので、その次ということから修二会という言葉が生まれたのではないでしょうか。


【Wikipedia】 修二会

 奈良地方の古寺で行われるものが著名で、特に東大寺二月堂の修二会は「お水取り」の通称で知られる。また薬師寺の修二会は「花会式」の通称で知られる。他に法隆寺西円堂で行われるもの、長谷寺で行われるものがある。いずれの修二会にも共通しているのは、本尊に対する悔過(けか=罪の懺悔告白)であることである。

 

 

【経営コンサルタントの独り言】

◆ 修二会といいましても奈良東大寺ではありません


 2月3日から7日までの期間、日本の仏教寺院で行われる法会のひとつが「修二会(しゅにえ)です。

 その言葉の起源は定かではありません。修二月会とか修正会(しゅしょうえ)とも呼ばれています。

 有名なのは、奈良東大寺の二月堂で開かれる修二会ですが、ここだけは他と異なり3月1日から開催されます。

 年の初め(旧暦)に、神や祖霊の力でその年の豊作を祈る「祈年祭(としごいまつり)」という神事がおこなわれます。

 修二会は祈年祭に対応した仏教の行事として形成され定着した行事と見られています。

 海外の文献や慣習に修二会のようなことが見当たらないそうで、日本独自の風習です。

  
http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/ff9f50e55b744f179d377fdce1fe505e

■ その他

◇ 初午  
◇ 奈良・春日大社万灯籠  
◇ 京都・伏見稲荷初午祭
◇ 善通寺星祭  
◇ 笠間稲荷初午祭
◇ 解脱上人忌

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■ 福沢諭吉の雪池忌

 福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)は、天保5年12月12日(1835年1月10日)に中津でうまれ、明治34年(1901年)2月3日に亡くなりました。

 諭吉という名の由来は、儒学者でもあった父が「上諭条例」(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に、彼が生まれたことにあります。

 武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者ですが、慶應義塾の創設者であることはよく知られています。慶應義塾だけではなく、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力しました。

 ジャーナリストとしての一面も持ち、大隈重信、伊藤博文、井上馨という政府高官3人と会見し、公報新聞新聞『時事新報』を創刊することになりました。東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長も務めています。

 安政元年(1854年)、19歳で長崎へ遊学して蘭学を学んだり、大阪適塾で頭角を現し、江戸に出てからは蘭学塾の講師を務めたりしています。この蘭学塾では、佐久間象山の影響も受け、洋式砲術の教授を受けたりしています。

 諭吉が横浜に出かけた折、オランダ語が全然通じないことから、英語の習得に力を入れたという有名な逸話があります。

 咸臨丸の艦長となる軍艦奉行・木村摂津守の従者として、勝海舟らと咸臨丸に乗り、渡米しています。

 文久元年(1861年)に中津藩士、土岐太郎八の次女・お錦と結婚し、その年の冬、竹内保徳を正使とする文久遣欧使節が欧州各国へ派遣されるとき、翻訳方としてこれに同行することとなりました。

 これらの功績が認められ、昭和59年(1984年)に一万円紙幣表面の肖像に採用されていることも知られています。

 明治31年(1898年)に脳溢血で倒れ、明治34年(1901年)脳溢血が再発し、2月3日に東京で、享年67(満66歳没)の生涯を閉じました。7日には衆議院が「衆議院は夙に開国の説を唱へ、力を教育に致したる福沢諭吉君の訃音に接し茲に哀悼の意を表す」という院議を決議しています。葬儀では三田の自邸から麻布善福寺まで1万5000人の会葬者が葬列に加わったという記録が残っています。諭吉の功績や人徳が偲ばれます。(【Wikipedia】をもとに作成)


(ドアノブ)

 since 1951 特定非営利活動法人・日本経営士協会

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 日本経営士協会は、特定非営利活動法人として内閣府による認証を受けた経営コンサルタント団体です。1951年に誕生し、経営コンサルタント育成と経営士・士補資格付与活動を1953年から積極的に行ってきている、日本で最初に設立され、約65年もの永きにわたりまして社会貢献をしてきています。
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