【きょうの人】 0608 感誉上人(感誉存貞) 室町時代の浄土宗の僧で、増上寺の第10代法主
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 感誉上人(感誉存貞) 室町時代の浄土宗の僧で、増上寺の第10代法主
かんよぞんてい
1522年(大永2年)3月-1574年6月7日(天正2年5月18日)
室町時代の浄土宗の僧で、増上寺の第10代法主となり、檀林の掟制三十三条を定めた他、大長寺など、各地に浄土宗の寺院を建立しました。
感誉存貞は、後北条氏重臣、大道寺政繁の甥で小田原に生まれました。
小田原の伝長寺で出家した後、弘経寺で修行し、修行後は、小田原に戻り伝肇寺の住職となりました。
感誉存貞は北条一族の信仰を集め、1548年(天文17年)には、北条綱成の開基により、東郡岩瀬村(現在の鎌倉市岩瀬)に、大長寺を建立しました。
翌1549年(天文18年)には大道寺政繁の母、「蓮馨」の開基により、川越に蓮馨寺を建立するなど多数の寺を開きました。
1563年(永禄6年)、増上寺に移り法主となり、増上寺では檀林の整備を行いました。3年後、増上寺の法主を大長寺二代目住職雲誉円也に譲り、その後は、地方を放浪し、1574年(天正2年)に大長寺へ戻り、同年5月18日に黄泉の国に行きました。
◆ 【きょうの人】 バックナンバー
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f
◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。
一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281
◆ 【経営コンサルタントのひとり言】
歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e
【きょうの人】 0608 感誉上人(感誉存貞) 室町時代の浄土宗の僧で、増上寺の第10代法主
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■ 感誉上人(感誉存貞) 室町時代の浄土宗の僧で、増上寺の第10代法主
かんよぞんてい
1522年(大永2年)3月-1574年6月7日(天正2年5月18日)
室町時代の浄土宗の僧で、増上寺の第10代法主となり、檀林の掟制三十三条を定めた他、大長寺など、各地に浄土宗の寺院を建立しました。
感誉存貞は、後北条氏重臣、大道寺政繁の甥で小田原に生まれました。
小田原の伝長寺で出家した後、弘経寺で修行し、修行後は、小田原に戻り伝肇寺の住職となりました。
感誉存貞は北条一族の信仰を集め、1548年(天文17年)には、北条綱成の開基により、東郡岩瀬村(現在の鎌倉市岩瀬)に、大長寺を建立しました。
翌1549年(天文18年)には大道寺政繁の母、「蓮馨」の開基により、川越に蓮馨寺を建立するなど多数の寺を開きました。
1563年(永禄6年)、増上寺に移り法主となり、増上寺では檀林の整備を行いました。3年後、増上寺の法主を大長寺二代目住職雲誉円也に譲り、その後は、地方を放浪し、1574年(天正2年)に大長寺へ戻り、同年5月18日に黄泉の国に行きました。
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