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◆【カシャリ!一人旅】 鎌倉五山+α ゆったり巡り 4 光明寺  連乗院 千手院

2016-08-10 11:29:43 | 【カシャリ!ひとり旅】 神奈川県

カシャリ!一人旅】 鎌倉五山+α ゆったり巡り 4 光明寺 連乗院 千手院

 私どもでは、経営やコンサルティングに関する情報以外に、日常生活に役に立つような情報、旅行や写真などの会話を潤滑にするために情報などもお届けしています。

 それらの中から、選りすぐりの情報を中心にご紹介して参ります。

【カシャリ!一人旅】は、カメラを片手に、カメラがないときには、スマホなどで、素人写真をカシャリと撮っています。

 皆様に公開するような腕前ではありませんので、公開することが目的ではなく、自分史の一巻として、自分のために整理しています。

 今回は、神奈川県南部、三浦半島の付け根にあります、歴史の街「鎌倉」を訪れました。鎌倉は、京都や奈良と同様に、私が何度も訪れたい街のひとつです。四季折々、素敵な様相を呈してくれます。

 

 鎌倉といえば「鶴岡八幡宮

 その鶴岡八幡宮の前進を「元八幡」といいます。

 本日は、その元八幡をはじめ、啓運寺 向福寺 妙長寺をご紹介します。

神奈川県 鎌倉
 

 鎌倉は、神奈川県の南部、三浦半島の湘南海岸側(西側)の付け根あたりに位置しています。周囲を山と相模湾で囲まれた天然の要害の地で、源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時らによって鎌倉幕府が置かれました。

 鎌倉は歴史の街でもあります。鎌倉幕府は、「いい国作ろう」と歴史年表を覚えた1192年に開かれたと学びましたが、今日では、「いい箱作ろう」と、1185年説が定説になっています。

 東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても山を越えない、防御をしやすい土地柄です。鎌倉の代名詞のような「切通し」は、「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路のことです。

 近代に入ってから“鎌倉文士”と呼ばれる作家や芸術家などの文化人が住むようになり、一層着目され、ドラマや小説などの舞台にもなっています。鎌倉文学館などは、それを象徴する一つです。文学青年ではありませんが、私も、若い頃は鎌倉に住んでみたいと思ったほどです。

 人口は、18万人に届かんとする、神奈川県でも五指に入るくらいの大きさの中核都市です。

       鎌倉市公式サイト  http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/
 東京から1時間あまりで鎌倉に着きました。ロッカーに荷物を預けて、30℃を超えるような暑さの中をスタートしました。風があるので、思いの外暑さの厳しさを紛らわせてくれました。

 一泊二日の予定ですので、時間的にはゆとりを持ちながらのスケジュールです。二日間の主な日程は下記の通りです。

鎌倉2016 初日コース


鎌倉2016 2日目コース

鎌倉 光明寺


 九品寺を出ますと、12時を大分回っていました。材木座海岸に出て、湘南道添いにある、若者を主として相手とするレストランに入りました。鎌倉野菜のサラダとイギリスのファストフードでありますフィッシュ・アンド・チップスを食しました。チップスは、フレンチフライ(フライドポテトの正式呼称)ではなく、川エビであるけど良いかと、注文をしたときに店主が確認してくれました。

 野菜は甘みが強く、おいしかったのですが、中に得体の知れない、茄子のような紫色していて、固めの輪切りにした野菜です。店主に尋ねますと紫にんじんだそうです。

 一時間程、ゆっくりと過ごしたために、それまでの疲れも飛び、汗も引きました。海岸沿いに歩いて行きますと、左手奥に「光明寺」らしき建物を発見、地図とは異なる道を行きましたら、ピンポ~ン、光明寺への近道でした。

 光明寺は鎌倉有数のお寺さんで、以前より訪ねてみたいと思っていました。ようやくそれがかなって参拝しますと、七堂伽藍を備えた浄土宗の元関東総本山といわれるだけに、山門も本堂も立派です。渡り廊下越しにチラッと見えたお堂にビックリ、入ってみますと、蓮池に蓮がいっぱい咲いていました。何とラッキーなのでしょう・・・

 光明寺は、浄土宗大本山の格式にふさわしく、鎌倉有数の大伽藍を誇る。この寺の創建は鎌倉時代の寛元元年(1243)です。開基は鎌倉幕府第四代執権・北条経時です。開山は浄土宗の第三祖の良忠。光明寺は鎌倉には比較的少ない浄土宗の寺で元関東総本山で、第五代執権・北条時頼以降も歴代執権の帰依を受け、七堂伽藍を整えた大寺院に発展。念仏道場の中心となった。
 江戸時代も徳川家康や家綱の擁護を受け、学問と修業の中心として栄えた。また皇室との関係も深く、後花園天皇からは山門にある「天照山」の掲額を、後土御門天皇からは、関東における念仏修業根本道場として「関東総本山」の称号を受け、国と国民の平和を祈る「勅願所」となった。本尊は阿弥陀如来(県重文).


↑ 拡大

 七堂伽藍の立派なお寺さんであることがよく解ります。

 山門右手に鐘楼があります。左手には庫裏、寺務所、開山堂がならび、正面の大殿(本堂)に渡り廊下で繋がっています。

 渡り廊下は、蓮池を右手に見ながら、開山堂に繋がっています。蓮池の奥には、池越しに端正な姿をしている大聖閣があります。

 総門を入りますと、大分広い駐車スペースの先に山門(三門)があります。かなり距離があるにもかかわらず、大きいことが解ります。

【参考資料】 山門

現在の山門は1847年に再建されたもので、高さ約20mの巨大な二重門。一階が和風、二階が中国風の造りになっており、中央に掲げられた「天照山」の額は、1436年に後花園天皇より賜ったもの。二階には釈迦三尊・四天王・十六羅漢が祀られている。

  山門をくぐりますと、正面が大殿(本堂)で、普通に見ますと大きな本堂なのですが、山門があまりにも立派なために、意外と小さく見えました。

 

  ◆ 光明寺の写真を見る

 

鎌倉 連乗院
 連乗院は、光明寺の山門の右手にあります。ご本尊は、源頼朝に鎌倉入りを進言した千葉常胤の守護仏としての阿弥陀如です。もともとは、真言宗の寺でしたが、現在は光明寺の支院です。光明寺の新しい住職は、いったんこの寺に入ってから入山するというしきたりがあるそうです。

 

鎌倉 千手院

 千手院は、光明寺の山門の左手にある、光明寺の支院のひとつで、一時期、専修院と呼ばれていました。開山や創建年は不明ですが、ご本尊は、千手観音で鎌倉観音巡礼第20番札所になっています。

 光明寺の僧坊であったこともあり、各地から学僧が修行道場として修行を積んできました。江戸時代中期には学僧が減少し、子どもたちに読み・書き・そろばんを教える寺子屋となったりし、明治に入ると、桑楊学校と呼ばれ、芭蕉の句碑が刻まれています。

 

 ◆ 光明寺 連乗院 千手院 の写真をみる

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 連乗院 千手院

 次号が続々と続きます。

 自分のために整理しました素人写真ですが、ご興味のある方は、是非ご愛読くださるようお願いします。

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【カシャリ!一人旅】 埼玉県編

 埼玉県は、東京都の北に隣接し、東京のベッドタウンの都市が多く、交通面でも要衝的な位置づけにあります。恵まれたロケーションであるにも関わらず、なぜか「ダサイタマ」などを悪口を言われてイメージが悪かったり、知名度も今ひとつだったりという面もあります。

 西部は、観光にも恵まれて魅力ある県です。一方、熱中症患者の数が日本一といわれる、日本でも熱暑の都道府県のひとつです。

 近い割には、あまり訪問する機会も多くないのですが、その魅力を伝えたいと思います。

 川越  都心から30km、小江戸と呼ばれ、蔵造りの町並みのある歴史的・文化的遺産





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