経営コンサルタントへの道

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【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて ◆第92段 ある人、弓射ることを習ふに 考えたことと実行力

2024-09-12 12:03:00 | 【心 de 経営】 徒然なるままに
■【心 de 経営】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて ◆第92段 ある人、弓射ることを習ふに 考えたことと実行力 
  「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
 徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
  高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
 徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
 お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆第92段 ある人、弓射ることを習ふに 考えたことと実行力
 経営コンサルタントを半世紀もやってきますと、好ましくないと思われる経営者・管理職に共通していることを感じてきました。
 超一流大学などの高学歴の持ち主で、知識豊かな経営者・管理職に多いのですが、いろいろなことを知り、自社をどの様に経営したいかもわかっていて、経営計画などに、いろいろな事項を盛り込んでいます。
 ところが、それを実践に活かせていないのです。
 やるべきことを盛りすぎるという問題点もあるのですが、実行力、行動力に欠けているのです。その結果、業績として出てこないのですね。そこに、経営コンサルタントが介在しますと、大変良い結果に繋がることが多いのです。
【原文】 ある人、弓射ることを習ふに
 ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。
 師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。のちの矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得矢なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。
 わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
 懈怠の心、自ら知らずといへども、師これを知る。
 この戒め、万事にわたるべし。
 道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。
 いはんや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。
 なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き。

【用語】
 諸矢: 「ひと手矢」ともいい、二本一組の矢のこと
 たばさむ: 手に挟む
 おろかに: おろそかに
 懈怠(けだい)の心: 怠け心、懈:おこたる)
 道: 仏道だけではなく、全ての学問芸術等の道
【要旨】
 ある人が、弓を射ることを習う時に、二本一組の矢を手に持って、的に向かいました。
 先生が言うことには、「初心者は、ベテランがするように二本の矢を持ってはいけません。なぜなら、二本目の矢もあるという気持ちが起こり、第一矢を、軽い、いい加減な気持ちでいてしまうからです。矢を射るたびに、当たるか当たらないかを気にかけないで、この矢だけで必ず的にあてようと念じなさい。」と言いました。
 わずか二本の矢しかない状態ですので、先生の前で一本をいい加減に放とうなどと、だれしも思わないでしょう。
怠けおこたる気持ちが起こると、自分では思っていないでしょう。しかし、仏典で懈怠のことを、「悪を行わないようにして、善・良い結果をだそうとしようとするときでも、怠け心が潜んでいて、持っている力全てを出し切れないことがある」ということを、先生は、ご存知なので、このようなわかりきった注意喚起をしているのです。
 この戒めは、矢を射るときのことだけではなく、全てのことにおいて、このことが当てはまるでしょう。

 仏道だけではなく諸道において、それを学ぶぼうとする人は、夕方には、明朝がくるという気持ちを持ち、朝には夕方があると油断して、もう一度、心を込めた修行ができると予定します。
 ましてほんの一瞬間のうちに、怠けおこたる懈怠の心が、そこに潜んでいると気づけるでしょうか、まず気づける人配なのではないでしょうか。
 なんとまあ、今ある、この一瞬において、それをすぐ実行しようとすることというのは、大変に困難なことなのでしょう。悲しいかな、これが大半の人間に共通なことなのです。
【 コメント 】
 テニスをプレーする人は、サーブをするときに、二個のボールを持っています。最初のボールを打つときに、他方のボールがあるので、是が失敗しても、もう一本打てるという気持ちでサーブをする人はいないでしょう。
 弓道の世界でも、矢を二本もって的に対峙することを、素人とでも知っています。
 しかし、弓道の試合などに出るような経験者であれば、上述のようなことを考える人はいないでしょう。ところが、初心者であるうちには、兼好が記述していますように、多くの人が、自分では気がつかないうちに、そのように考えているのかもしれません。
 もし、ここに登場する弓道の先生が、「諸矢」という弓道において当然なことを、当然として考えれば、「初心者には一本の矢しか持たせない」という指導法を思いつかないでしょう。
 常識を疑うというクリティカル・シンキングの基本的な発想法は、ビジネスの世界でもいえます。
 だれもが、「明日がある」と信じているでしょう。そのために、怠け心から、「これは明日やろう」と先延ばしをすることがあるのではないでしょうか。
 多くお人が、その様に考えるでしょうから、「今日なすべきことを明日に回すな」という箴言が存在するのです。
 私のように、高齢で、持病を持っていますと、「明日の朝が来るのだろうか」と日々思いながら布団に入ります。
 日中は、「今を大切に生きる」ということを心がけます。
 ところが、多くの人は、「今を大切に」ということを誤解して、「莫迦な行為をできるのは若いうちだけだから、今を楽しもう」と自分の懈怠心を正当化し、愚行とも思えることに走ってしまいます。
 私は、「残された人生をいかに過ごすか」という目標をもとに、充実した人生を送るには、一時一時を、それに向かって努力をするようにしています。黄泉の国に発つときに、「晩年は、一時を大切に生きられた。幸せであった」と思えるようにしたいと考えて、毎日を送るようにしています。
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