路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

声嗄れて鍋煮詰まれる寒波来

2011年01月08日 | Weblog

 連日寒いが、晴天は続く。

 午前中来客あり。少し話す。もろもろ知りたき情報あって、単刀直入に聞くと単刀直入、親切に教えてくれる。
 いろいろな人にどれだけ助けてもらえるか。畢竟これだけである。世間というのは。たぶん。

                  

 夜新年会一件。
 部屋に入って行ったら、いきなり幹事から本日の最後のバンザイを、みたいなことを頼まれる。いや冗談じゃない、と拒否するとアアそうですか、とあっさり納得される。
 冒頭でエラいひとが挨拶。時候のアイサツのあとで、昨年はおかげさまで私の家も完成し、みたいな話をする。なんじゃそれ、と聞く。
 席はくじ引きで決められて、ワシはそのエライ人の正面になる。で、会の大半を鍋をはさんでその人と対話して過ごす。モロモロ話すが殆どはワシが聞き役にまわる。半生の苦労話をポツポツと聞く。社会への悲憤慷慨を頷きながら聞く。先年の豪雨災害で家を壊され、再建にその会でナニガシかの援助もしたらしく、それで冒頭の挨拶となったらしいことを理解する。不明を愧じる。市民の漢詩の会のリーダーで、李白だとか杜甫だとかの話が出る。三国志だとか史記だとかの話になって、それらの登場人物の○○だとか××だとかの話になる。○○も××も全く知らないけれど、いつもの悪い癖でサモ知ってるように調子合わせていると、なんだかワカッテルヤツみたいな評価になったらしく、しまいにはその漢詩の会への入会を強く勧められる。漢詩なんぞワシは全然興味ないのに、入会の書類を送るから必ず入れ、みたいなことになる。調子コイタ報いである。
 しかし、ともかく、ひとは話してみるものである。村夫子然としたそのひとは、どうやら先人として尊敬すべき人であることを知る。
 少し気持ちがホッコリする。

 ベロベロに酔っぱらった某老人がバンザイの音頭をとって、外に出るとこの冬一番の寒波で、おお、すごく寒い。