路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

大寒や病者の息のときに熄む

2011年01月21日 | Weblog

 先日ヒーターのタンクに灯油を入れていて、満杯になってコックを止めるときにどっちに回していいか不意にわからなくなる、という事件発生。そのまま大量に灯油を溢れさせるという仕儀となった。慌てればあわてるほど回し方がわからなくなって、アワアワワとなる。で、本日はガスの消火の際に同様のことが起きる。消すほうへ回しているつもりが火はどんどん強くなって、やっぱりアワワワワとなる。
 大丈夫か、おれ。

 ずーーっと晴天。
 このところ毎日湖を周回しているが、氷湖と遠景の山巓の光の反映がたまらなく美しい。

  ゆずらざるわが狭量を吹きてゆく氷湖の風は雪巻き上げて  武川忠一

                 

 夜は藤枝静男「悲しいだけ」を百年文庫で読む。
 初出のときに読んだ記憶があるが、やはり30数年前には若造でなんにもわからなかった。

 歳月の重みということだな。

 


山の端で寒満月を浮かせおり

2011年01月20日 | Weblog

 このところ病室通いが続くが、きれいな病棟ときれいでやさしい看護婦さんがいるところに行くのはそれほどいやではない。以前の病院は某政党系といわれるところで、そのせいか看護婦さんがミョウに官僚的であった。けっきょく病院経営というのもマニュアルではなくて人の気持ちであるな、と素人がエラそうなことを思ったりする。

 で、ここ数日院内のオシャレな食堂でオシャレなランチとか食ったりしてるので、かえって太り気味なのであります。なんかいろいろ差し入れなんかもあるし。

 夜は受験生が貸してくれた百年文庫で、北原武夫「聖家族」を読む。なかなか隠れた名編はあるものだなあ。
 このところ何年振りかで小説づいてきたな。

                      

 今年の冬はとっても寒い、ということをさかんにいわれているようですが、ぜんぜん実感がない。寒さでいえば確実に昔の方が寒かったし、ワシとしては夏が暑いのは許しがたいが、冬寒いのはいっこうに問題ないのである。

 それでもここ数日寝るときにパジャマ着て寝ている。それでも寝ようと思うと寝られるものであることを発見した、そんな今日この頃。

 


湖に光の華や大試験

2011年01月19日 | Weblog

 もろもろ一人で懐かしがっていたりしたら、週末から病室で過ごすことになった。病室の主ではなくその従者の方。
 センター試験の前日に年寄りが転院して、慌ただしいままに土日を新たな病院で過ごす。
 新たな方の病院はできて10年くらいか。高層で立地もオシャレ。大病院で職員の数も相当なものだが、その人たちがみんな例外なく親切である。ことに看護婦さんがみんな美人で応対がやさしい。これは奇跡的と言ってもいいのではないか。彼女たちの仕事の過酷さを見るにつけ、本当に感心する。そして頭が下がる。

                     

 付き添いといっても基本暇だから、病院の中を散歩したりボケッとしたりして時が過ぎる。
 借りた小山清を読んだりする。再読か三読くらいではあるが、読んで時々泣きそうになる。「前途なを」も「朴歯の下駄」も「落穂拾い」もこんなにもよかったかと思う。才乏しくも(敢えて言えば)ひたすら真摯でひたすら優しいということは、やはり人の心を強く打つ。これは病室で読んだからではなく、やっぱりワシが歳とったからであるだろうな。若くして読んではいけない、読んでも意味がない、そういうものがあるのでありますよ、たぶん。で、どうしても、作者のその後、悲惨としかいいようがないその末路を思ってしまうのでありました。

                       

 連日晴天。
 ビルの高層から眺めていると、現実のセカイが嘘のように思えてくる。

 


天空へ冴えゆくころの朝の声

2011年01月14日 | Weblog

 いい天気が続く。もう一月も半ばだ。

 真冬日が続いてみなカチカチである。湖も氷っただろうか。

                    

 伊達直人のおかげでナツカシのTVの記憶が。もっとも昔は平日は殆どテレビなんか見せてもらえなかったから、(ひょっこりひょうたん島くらいか)記憶としては日曜の朝か、あと土曜日の夕方だな。それももっぱらNHK.(もっとも民放は一個しかなかったけど。)
 土曜6時のNHKドラマは懐かしい。「愛の一家」とか「ポンポン大将」とか「アイウエオ」とか「からくり儀衛門」とか。「アイウエオ」は早坂暁脚本の明治百年がらみので名作だったけれど、大正百年の今年はナンカないのかしらん。

 で、6時半からはコレ。
 これは随分長いことやってた記憶があるけれど、ググってみると昭和36年から44年まで8年もやってたんだね。
 ケペル先生こんばんは。
 ナンでも考えカンでも知って、ナンでもカンでもやってみよう!

 ウー、なつかしい。

ケペル先生 オープニング

 ケペル先生が海賊トラヒゲなのはわかってたけど、ワカメちゃんまでしゃべっていたとは。初期にはたしかマーブルチョコレートの女の子が一緒に出てたような気がするけど。

 しかし、まあ、こんなことやっていていいのか。

 もうやめます。

 


林檎さくさく朝焼けに白い香

2011年01月13日 | Weblog

 枯野菊を刈って火を放つ。ついでにこわれた籠も焼く。よく燃える。

 「タイガーマスク」ってのはたしか日曜日の朝やってたなあ。キー局じゃないからこのあたりだけかもしれないが。狼少年ケン、とか、ガボテン島、とか。ハリスの旋風ってのもそうだったかも。あのころのアニメというのは教育番組の範疇で、おしなべてみんなミンセーぽかったな。タイガーマスクだって悪役レスラーがその後は絶対に反則をしないプロレスラーになるオハナシだったし。ここで負けるわけにはいかない、しかし反則はできない、子供たちが見ている・・・。「ルール無用の悪党に、正義の・・・・」よく見たぜ。梶原一騎全盛のころ。
 ともかくみんなガンバっているなあ、というか、あしながおじさんモノはひとつのパターンだったな。って他に特に思いつかんが。

                          

 そういうわけで、世の中昭和30年から40年くらいの気分になっているのか。よくワカランが。気分としては、貧しくとも・・みたいなことか。
 ま、なに言ってるのかよくワカランが、ともかく、がんばれ寛平ちゃん、がんばれ受験生、ということだな。

 うむ、やっぱりよくワカラン。

 


身辺やこうしていても冬ざれぬ

2011年01月12日 | Weblog

 寒いなあ。
 玄関の鍵が壊れたと思って、分解してみてワケわからずに元に戻して、そのあとでまったく壊れてなんかいなかったことに気付いたりする。そんな馬鹿な一日。

                       

 夜「ハモネプ」を見たりする。審査員の中に大嫌いな奴がひとりいて、こいつさえいなければいいのだが、と思いながら見たりする。

 なんだかなあ、な一日。

 


静かなる成人の日の明かり窓

2011年01月11日 | Weblog

 月曜日は成人の日で連休に、というのは小正月とは違うんだよな。かつては成人の日は15日でそれから藪入りとか金山様とか一連の歳時だったのが、変なことするからわけわからなくなったな。どんど焼きとか厄投げとかどこかでやってるんだろうが、昔と違ってやたら静かである。

 年寄りの見舞いとかのほかは何事もなく過ぎるが、受験生が風邪(?)ひいて大変である。しっかり養生せねば。

                         

 半分寝ながら、植村和秀『昭和の思想』(講談社選書メチエ 2010)を読む。わかりやすく書いてあってアッというまに読んでしまった。もはやワシよりはるかに若い人たちが研究者の主流であるなあ。

 さすがに、すごく寒い。
 早く治さねば。

 


憾みごと繰り言少し寒に入る

2011年01月09日 | Weblog

 すごくいい天気。

 コンコンとキツツキがどこかの窓ガラスをつつくような音がする。気にも留めずにいると、しばらくしてからまたコンコンと音がする。静かな音なので家鳴りだと思ってホッておいたら、だいぶ時間をおいてまたコンコンと音がする。外へ出てみると、若くて巨漢のおまわりさんが立っていて、家屋というか家の確認というか随時の巡回らしかった。いちおうピンポン押してみるとか、声かけるとかすればいいのに、いまどき玄関コンコンされてもなあ、という話。
 気は優しくて力持ちみたいなおまわりさんで、この寒いのに汗ダラダラでしたが。

                    

 松も取れて、いよいよ日常、ということだけれど全然気勢があがらない。
 冬眠鼠さんがお墓参りに行くというので、なんで今頃、ということになって、昔は元旦に行ったらしいじゃないか、という話で、へーそうだっけ、ということなのだけれど、しばらくしたら不意に思い出して、確かにそうでありました、ということになる。
 元旦、眠くて寒くて暗い中をたたき起こされて、湖畔まで初日の出を拝みに行って、なんでこんなもの見なきゃいかんのだ、フツウの日の出じゃねえか、とか思いながら、日が昇ってもすぐに帰れず、近くの産土様にお参りして、ようやく帰路についたと思ったら家を通り越してまだ歩かされてお墓まで行って、もうその頃にはカンペキにグダグダで反抗期と倦怠期と退行期が一度にきたみたいになっていて、で結局親の方でも、正月だからオオメにみてやってれば、的なことになるのでありました。
 考えてみれば、正月だからって楽しいことなんか特になかったな。

 ま、そんなこんなでどうでもいいことでありました。

 すんまへん。

 


声嗄れて鍋煮詰まれる寒波来

2011年01月08日 | Weblog

 連日寒いが、晴天は続く。

 午前中来客あり。少し話す。もろもろ知りたき情報あって、単刀直入に聞くと単刀直入、親切に教えてくれる。
 いろいろな人にどれだけ助けてもらえるか。畢竟これだけである。世間というのは。たぶん。

                  

 夜新年会一件。
 部屋に入って行ったら、いきなり幹事から本日の最後のバンザイを、みたいなことを頼まれる。いや冗談じゃない、と拒否するとアアそうですか、とあっさり納得される。
 冒頭でエラいひとが挨拶。時候のアイサツのあとで、昨年はおかげさまで私の家も完成し、みたいな話をする。なんじゃそれ、と聞く。
 席はくじ引きで決められて、ワシはそのエライ人の正面になる。で、会の大半を鍋をはさんでその人と対話して過ごす。モロモロ話すが殆どはワシが聞き役にまわる。半生の苦労話をポツポツと聞く。社会への悲憤慷慨を頷きながら聞く。先年の豪雨災害で家を壊され、再建にその会でナニガシかの援助もしたらしく、それで冒頭の挨拶となったらしいことを理解する。不明を愧じる。市民の漢詩の会のリーダーで、李白だとか杜甫だとかの話が出る。三国志だとか史記だとかの話になって、それらの登場人物の○○だとか××だとかの話になる。○○も××も全く知らないけれど、いつもの悪い癖でサモ知ってるように調子合わせていると、なんだかワカッテルヤツみたいな評価になったらしく、しまいにはその漢詩の会への入会を強く勧められる。漢詩なんぞワシは全然興味ないのに、入会の書類を送るから必ず入れ、みたいなことになる。調子コイタ報いである。
 しかし、ともかく、ひとは話してみるものである。村夫子然としたそのひとは、どうやら先人として尊敬すべき人であることを知る。
 少し気持ちがホッコリする。

 ベロベロに酔っぱらった某老人がバンザイの音頭をとって、外に出るとこの冬一番の寒波で、おお、すごく寒い。

 


凍て道や記憶は夜の意匠にて

2011年01月07日 | Weblog

 正月はおおむね快晴だったな。

 外出すると会う人がたいがい今年初めてだから年初の挨拶になるけれど、もうオメデトウという雰囲気でもない。
 元気に散歩する老人に会って、お元気そうで、と言うと、いやいや内臓はもう全然ダメで、体の中身は殆ど無くなってるみたいな話になって、でも足腰は丈夫で、それは軍隊時代中国大陸を二往復くらいしたからで、といった展開になり、このままでは寒風の路傍で万里の長城を造ったのはオレダみたいな話を聞かされそうで早々に逃げ帰ってくる。

                     

 受験生の受験料を払いに銀行へ行く。
 しかし、最近の受験はサッパリわからんなあ。センター試験だとか一般入試だセンター併用だとか、天地神明にかけてさっぱり理解できん。入学願書というもの自体が昔とはだいぶ違って、やたらデカい国税調査書みたいなヤツである。それに受験料納入書もくっついていて、つまりは銀行窓口にそのデカいのをそのまま差し出さねばならぬ。
 で、窓口のおねえさん、(といっても30代半ばくらいか) ワシが差し出したそれらを受け取ると、いきなり立ち上がって、これは大切なものですので少しお時間を、と神妙なオモモチになり、一枚一枚丁寧に確認する。
 呼ばれて、再度窓口に行くと、ではご確認を、と祝詞をあげる神主さんみたいに願書を捧げ持ってはひとつひとつゆっくりと疎漏がないか指差し確認していき、最後に合格をお祈りしておりますと深々頭を下げて「合格鉛筆」を差し出してくれた。ワシ受験生本人じゃないんだけど。
 少し泣きそうになった。

 7日は人日。

 泣きたくなるような青空。