物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ビッグ・ヒストリー

2017-03-20 13:43:36 | 日記

とは人間の歴史だけに限らず宇宙の歴史からはじまる、歴史だという。

H. G. ウエルズの歴史の本で地球の歴史からはじまっているのを見たことがあるが、宇宙のはじめからはじまる歴史書は興味があるので、読んで見たい。

1か月ほど前に朝日新聞でこういう歴史書のことを日曜の書評欄で紹介されていた。もっとも明石書店から出された翻訳は約4000円もして貧乏な私などは簡単に買えそうにない。

宇宙開闢から138億年の「人間」の歴史という副題がついているらしい。歴史などというと人間の歴史に限るはずだが、どうもそうではないという観点が壮大である。

歴史というと最近の話題は呉座雄一著『応仁の乱』(中公新書)が売れているらしい。誰が主人公とかいうことのないのが、応仁の乱らしいが、ヨーロッパの歴史だと30年戦争というのがある。30 j"ahrlige Kriegとか高校時代の世界史でかすかに聞いたことがあるような話である。

それがヨーロッパ人にとってはけっこう身近な話であるのは当然であろうか。フンボルト奨学生を対象にした、フンボルト財団招待のドイツ国内のバス旅行で引率のべヒュートンス氏も歴史に触れて30 j"ahrlige Kriegという語をしばしば口にしていた(注)。

1618年から1648年まで続いた戦争であり、これはいまのドイツが主に戦場になったという。はじめはプロテスタントとカソリックの宗教戦争の色彩を帯びていたが、次第に宗教戦争からハプスブルグ家との覇権争いの色彩が強くなっていたとかどこかで読んだ気がするが、定かでない。人口の1/3くらいか1/2が30年戦争で失われたというからこの戦争によって農民が疲弊したのは当然であろう。

Gr"unewaldの油絵でアルザスの小さな町である、Colmerの教会にあるという「微笑むマリア」はGr"unewaldがヨーロッパの農民を元気づけるために微笑むマリアの像を描いたとは武谷三男の言である。

そういうエピソードを知らなかったから私もこのColmerの教会を40年ほど前に訪れて、Gr"unewaldの油絵を見たことがあるのだが、この絵のことを覚えていない。

思わぬほうに話がそれたが、ビッグ・ヒストリ―という概念はおもしろそうである。

(注)フンボルト財団とは外国の研究者を招くドイツ独特の制度を行っている財団である。ドイツ連邦政府が外国の研究者を招くという制度はなく、実質的にフンボルト財団という組織がドイツ連邦政府に代わって外国の研究者を招いている。

民間の資金も使われているかもしれないが、主に連邦政府と州政府が資金を提供していると聞いている。主に40歳以下の研究者を招待する。もっと若い研究者をドイツに招く制度としてDAADというものもある。

 


春分の日

2017-03-20 11:50:29 | 日記

今日は春分の日の祝日である。夜と昼の長さが同じ日である。ドイツ語ではその内容そのままのdie Tag/und/nacht/gleiche(ターク/ウント/ナハト/グライヘ)という。意味は昼と夜とが同じという(注)。

もっとも秋分と春分とは区別されていない。独和辞典の訳では「昼夜半分時」と苦心の訳がついている。もっともこれは定訳と見えて他の独和辞典にも同じ訳がついていた。そしてカッコの中に春分とか秋分とか説明がある。

(注)die Tag/und/nacht/gleicheは言葉に(/)は本当は入らないのだが、日本人にはどういう単語がつながっているのかわかり難いので、わざと/を入れた。本当はdie Tagundnachtgleicheが正しい表しかたである。ドイツ語に慣れた人なら、すぐにわかるが私たちにはわかり難い。


数学・物理通信7-1,7-2発行

2017-03-18 14:18:02 | 日記

がまじかに迫った。これらを月はじめから準備してきたのだが、点検によっていくつか原稿の修正がされたので、発行が予定したよりも遅れている。が、それでも特にもう問題がなければ、来週早々にも発行ができるだろう。

掲載される原稿に対して、新しくコメントがついたりしたので、発行が遅れているが、それだけ内容が充実しているということだと思う。今回は7巻1号と2号の2つの号の発行で、3つの号を発行することまではしなくてすむであろう。

いままで3つの号を同じ月に発行するという経験が何回かある。今回はそこまでする必要はなかった。

 


虚数はフェィク数か

2017-03-17 12:10:25 | 日記

今日の朝日新聞に60歳代の女性が虚数は世の中に存在しない数だと中学校か高校で学んだが、実際の世の中では技術的な分野とかでそれが実際に使われていることを知ったと書いてあった。

虚数を英語の辞書で調べると、an imaginary numberとあり、想像上の数が本当の意味だと知ったとあった。この投書などは一般人の虚数に対するイメージとして面白いから投書欄に採用されたのだろう。

平面上に二つの実数 (x,y) で一つの点を指定するのは歴史的にはデカルトとかフェルマーによるのだが、その平面を複素数を表すのに使うことは数学者のガウスによると言われている。

それで、i とは実軸上の1に対してちょうど時計の針と反対方向に90度だけ原点を中心にして回転して得られる。もう一度原点を中心にして時計の針と反対方向に90度回転させると-1が得られる。それで、i^ {2}=-1であることがわかる。

この説明は遠山啓著『数学入門』(岩波新書)に書かれてあって、この説明の巧みさに感心した。それでこの説明法は遠山先生の独創かと長い間思って来たのだが、先日ベルの『数学をつくった人々』(早川文庫)を読んでいたら、すでにベルがこのような説明をしていることを知った。遠山先生の説明は詳しいが、ベルの説明はさらっとされている。

この虚数 i の解釈はハミルトンの四元数でも述べられており、私も当然のことのように小著『四元数の発見』(海鳴社)でも述べた。それによく不思議な関係式として引用される e^{i\pi}+1=0 などでもなんのことはない、実軸上にある線分01(0から1までの線分)を\pi=180度だけ原点を中心にして、反時計方向に回転すれば、得られる関係である。何の神秘的なこともない。言葉で書くと面倒だが、図で示せば、とても簡単なことでこのことがわからない人がいるとは思わない。いくら数学音痴だと自称する人であっても。

だが、よく無理数 \pi (円周率パイ)と別の無理数 e (自然対数の底)と虚数 i (-1の正の平方根)とを関係づける不思議な関係と言われるので、不思議な気持ちがする人も多いだろう。小川洋子さんの『博士の愛した数式』(新潮文庫)などにもそのように書いてある。

しかし、インターネットを検索すると虚数 i の上に述べた意味を説明しているサイトも最近ではある。同様にハミルトンは複素平面に対して垂直な平面上で同じように \sqrt{-1}=j と定義される虚数単位があると思いついて、それが彼の「三元数」の探求の契機となり、最後に代数系としては「三元数」は成り立たないが、四元数があるという四元数の発見へと導かれた。詳しいことは自己PRで悪いが、小著『四元数の発見』を見られたい。

どうしても『四元数の発見』を購入して読んでくださいというわけではない。当該の書を図書館で見て頂いてもいいし、インターネットで「数学・物理通信」を検索して以前の号に掲載された、「四元数の発見」とあるエッセイを読めば、まったくお金もかからずにすむことである。

 


またまたブログに書くテーマを

2017-03-17 11:50:37 | 日記

忘れてしまった。昨夜だったか前にブログのテーマとして取り上げるべきものを思いだしていたのだが、一晩寝て、いまパソコンの前に座るとななにかテーマがあったということだけ覚えているが、それがなにであったのか思い出せない。

これは先日来書いている、ベルの『数学をつくった人びと』に関係していることだけは確かなのだが、まったく忘れていて、思い出せない。

思いついたときに紙にメモするなどということはあまりしないので、しかたがない。またその中に思い出すだろう。

(付記)つぎのブログ「虚数はフェィク数か」をご参照ください。


Mensa

2017-03-16 15:10:13 | 日記

Mensaとはドイツ語を知っている人なら、大学の学生食堂のことだと知っている。in die Mensa gehenというのは大学の学生食堂へ行くことを意味する。

ところが、先日ベルの『数学をつくった人々』(早川書房)を読んでいたら、「ラテン語のMensa(テーブル)の格変化を知らない人がいるのと同様に初等数学の知識を知らない人がいる」という文章があった。

ということでドイツ語のMensaがラテン語起源であることを知った。ドイツの大学でTabernaという食堂がやはりあり、日本語の「食べるな」はnicht essenだとマインツ大学の物理のKretschmar教授に話したことがある。彼はこれもラテン語起源でテーブルを意味すると説明をしてくれた。

このKretschmar教授は京都大学名誉教授のY教授と若いときに知り合いだったらしかった。

忘却

2017-03-16 12:01:00 | 日記

とはいっても大したことではない。

しばらく不在にする前に何をしていたのかを思い出せなかったが、図書館で本を借りていたことだけを思いだした。ところがなんという本を借りていたのか思い出せない。それでしかたなく、図書館に電話して何を借りていたのか聞き出した。

それで不在にする前に私が何をしていたのか思い出してきた。ところが借りたはずの本が机の上に見つからない。困ったことになった。いずれは見つかるのだろうが、気持ちが悪いことはなはだしい。気分が落ち着かない。

借り出していた本は吉岡斉著「科学者は変わるか」であった。この本はなかなか興味深い本であるという記憶が残っている。だが、本がどこに行ったかが、わからないことは本当に気持ちがわるい。

その前に読んでいた本のメモをコタツの上に載せていたが、昨日妻も久しぶりに帰ってきて、どうもゴミとして捨てられそうになったので、あわてて仕事場にもってきた。これらは論文としてすぐにはまとまらないけれども、メモとして大切だからである。

しかし、しばらくは「数学・物理通信」7巻1号、2号の編集の仕事が優先する。

(2017.3.17付記)見つからなかった吉岡斉著「科学者は変わるか」をようやく見つけた。どこかに持って行ったわけではないので、あるのは当然だが、それにしても一両日気持ちが悪かった。やれやれ。


不在から帰ってきた

2017-03-15 12:28:08 | 日記

4,5日だけ不在にするつもりが12日ほどの不在である。

人間だからどこかへ行くこともあるということだ。もっとも普通は長くても4,5日だのに10日を越えたのは自分でも意外であった。昨日の夕方帰って来たのだが、昨日はブログを書く時間の余裕がなかった。書きたいとは思ったのだけれども。

不在にしている間にE. T. Bellの"Men of Mathematics"の訳書『数学をつくった人々』(早川書房)の一部を読んだ。ガウスの項でガウスは平方剰余の相互律という定理の証明を生涯で6つ考えたとあった。

私も小著『四元数の発見』で四元数をつかった空間回転の式を3つの方法で導くことを書いたが、もちろん私のオリジナルでないが、できるだけ教育的に発見法的に述べてみたいという気持ちからである。それと四元数による空間回転の式が私には不思議だったということも原因である。

もちろん、ガウスの方は自分のオリジナルでもあるし、数学史の上でも重要な役割を果たしているのだから、その重大さはまったく問題にならないほど大きい。

そうではあるが、別証明を与えるということについて余計なことだという印象を一般の方々にもたれるかと思ったので、必ずしもそうでないことを知って心強かった。

私はよく知らない楕円関数について、上記の『数学をつくった人々』のヤコービの項にわかりやすい説明があった。楕円関数についてはアーベルの寄与がヤコービとともに大きいことも知った。


ブログをしばらく休止

2017-03-02 08:13:38 | 日記

する。理由は私が不在になるからだ。いつもどってくるかはまだわからない。戻って来たらその日のうちにも再開をするつもりである。一応4,5日の予定である。

いま「数学・物理通信」7巻1号と2号を編集中なのに出かけなくてはならないのは不本意ではあるが、しかたがない。もっとも7巻1号の編集後記は N さんに頼んだが、かれは編集後記は時間をかけて書く方なので3月10日くらいまでは7巻1号の編集後記は私の手元に届かないであろう。

編集後記が届くのを今か今かと待つことを考えると用で不在にするのも悪くはないのかもしれない。


昨日はブログを

2017-03-01 12:20:50 | 日記

書くのを忘れた。ということはいろいろ用事があったということだ。普段はあまり忙しくはしていないので、ブログを書く時間をかなり十分とっている。

だが、他に用事があって、それに気をとられているとブログを書くことなどどこかに飛んで行ってしまう。もっともそのようなことは私にとってはきわめて珍しいことである。

一昨日だったか、ボルケナウの『封建的世界像から市民的世界像へ』(みすず書房)を古本で入手した。とても分厚い本でとても読むおおせるとは思えない本である。

そして、これを訳した訳者も5,6人よりも多い。10人くらいはいるのではなかろうか。訳序を読んで見たが、それすらけっこう長い。そしてやはりボルケナウ自身がこの本を書いた後でもっと保守的な立場になったと書いてある。元はドイツ語であるのだが、大体こんな本を誰が今頃読むのだろうか。元の定価は3000円だったが、約1000円で入手した。送料等はもちろん別だけれども。

それに付録かとしてつけられた部分がこの書の書評だとか書いてあるが、それがまたけっこう長い。小さな活字でもう老眼の私には結構つらい。

昨日は「数学・物理通信」の共同編集人である、Nさんのところへ7巻1号を編集したものをもっていった。彼に編集後記を書いてもらうためである。

N さんは施設に入所しているのだが、彼独自の微積分のテキストを書いているのだが、なかなか完成しない。昨日もその話が出た。部分部分に分けて、「数学・物理通信」に少しづつ発表するという提案をしてみたのだが、書き下ろしとしてテクストとして発表したいという気が強い。

部分的に発表すると本の売れ行きが落ちるのではないかという危惧をもっているのかもしれない。もちろんそういうことは言われはしないのだけれども。