物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ボー・グエン・ザップ将軍

2013-10-07 17:20:29 | ニュース

最近、ボ・グエン・ザップ将軍が亡くなったとのニュース新聞で読んだ。102歳だったという。

ボー・グエン・ザップ将軍と聞いて懐かしく思う世代はかなりのお年の世代であろう。

仏軍が築き上げた難攻不落のディエンビェンフーの要塞をゲリラ戦で攻め落としたのは1954年だというから私が中学生のころであり、もう60年近く前のことになってしまった。

これは当時大きなニュースとして新聞にとりあげられた。そのころまだテレビはほとんど一般家庭には普及していなかった。

難攻不落の要塞を築きあげていたフランスはこれをきっかけにして結局植民地ベトナムから撤退をした。

ザップ将軍は元高校の歴史の教師だったというが、知恵のある戦略家である。このザップ将軍と抗日戦争を指導した毛沢東はやはりどこか尊敬をせざるを得ないところがある(付記参照)。

近代的な兵器ではフランスや日本に劣るはずだが、それでもそういう国々を打ち破ることができた知恵とか戦略はいくら学んでも学び過ぎることはない。

今日の新聞に出ていたのはザップ将軍の本の読み方であるが、目次で重要と見極めた章から精読し、残りは概要だけ読み取った。読後は要点を整理し、重要部分に再び目を通したという。

この民族の英雄の冥福を祈ろう。

(2013.10.9付記) 私の科学史の論文上での論争相手のA博士などには上に書いたこれらの人々を尊敬するなどという感情は多分理解されないであろう。それはひょっとしたら、私の世代に少しは残っていたロマンチシズムかもしれない。

だから、それを現在の人が理解しないことは私も理解しているつもりである。だが、ザップ将軍の死亡記事が新聞に載ったことはそれでもそのロマンを理解できる人がいることを示している。


レビ小球型認知症

2013-10-07 11:31:05 | 健康・病気

先週の水曜日のNHKの「ためして合点」でレビ小球型認知症をとりあげていた。

それを見て感じたことを一つ書く。このレビ小球型認知症では幻視がよく起こる。それについての対症法が言われていた。

それはトイレに入ったときに人が何人かいるように見えたりするが、それは見えた本人にとっては現実である。だが、その幻視の像は他の人には現実の実在ではない。

だから、その幻視の像を触るように仕向けたりすれば、その幻視の像は消えるという。このときに本人にそんな人や物はないということをただ言葉で言うだけでは本人を説得はできないという。

このことはなかなか興味深い。人間の認識の一部として視覚が大きな要素としてあることは事実だが、人間はそれだけでものを認識しているわけではない。

聴覚、触覚、嗅覚、味覚、それにもちろん視覚によって総合的にものごとを認識しているのである。そのことを忘れてはいけない。

ピアジェという心理学者がスイスにいたが、彼は幼児も空間とか物とかの認識がこういういろいろな感覚によって獲得されていくのだということを本に書いていたらしい。らしいというのは実はピアジェの本を読んだことがないからである。

実は数学者の遠山啓がピアジェについて書いたのを読んだことがあるにすぎない。ピアジェの書いた数と量の認識の心理学の訳本(遠山や銀林訳)はもっているのだが、まだ読んだことはない。