物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

武谷三男の「業績リストと著作目録」

2010-06-24 10:04:56 | 物理学

昨日、ようやく「武谷三男の業績リスト」と「著作目録」を「素粒子論研究」電子版に投稿した。すでにWeb上に出ているので、誰でもアクセスできるはずである。ところが、このPDF版を見たら、どうも文章の中の文献の数字の間が少し開きすぎていることに気がついた。

修正すべきなのだろうが、別に間違っているわけでもないのでしばらくそのままにしておこう。

原稿を寝かせておいた時間は十分だったはずだが、それでも文の体裁を気にしていなかったと悔やんでいる。そそつかしい私はいつもこういう風である。だから、念には念を入れてと心がけているつもりだが、その生来のそそつかしさは直らない。困ったものである。

中学生のころ塾に通っていたが、連立方程式を解くときなどにそそつかしく計算をよく間違って塾の先生からよく注意をされた。計算のない数学があればいいのにと思ったものである。

私の中学生の頃通っていた塾は、このごろ流行の塾とは違う。このごろの塾はむしろ学校の教室と似ているのが普通だろうが、私の通った塾は普通の家に上がって行って、畳の上に座って先生の説明を聞いたり、自習をしたりした。

この塾はもともと旧制の中学校や女学校に入る受験準備のために武田先生が開かれた白星堂という名の塾であって、武田先生は私の母も教えてもらった方だったという話はこのブログでも書いたことがある。

中学校時代にこの塾に通ったが、高校以降は塾にはもう通わなかった。この塾で初歩の英語についてとてもいい教育を受けた。私がいまでも外国語を学ぶことが好きなのはこのときの教育がよかったためであろう。


ビールパーティ

2010-06-24 09:16:52 | 日記・エッセイ・コラム

道後温泉本館横の道後ビール館でドイツ語のクラスのビアパーティが昨夜あった。先生のR氏は夜の授業のために少し遅れて参加したが、その前の1時間半ほど日本人だけで話をした。

今回のパーティの世話役はYさんであったが、私たちの会全体の世話役のO氏は元牧師で、ドイツ語の翻訳家を目指している。彼は翻訳家養成コースか何かを受けているらしく、もうドイツ語の勉強はしないでいいから、日本語の勉強をしなさいと言われているという。

うらやましい限りだが、日本語の文章が多分硬いのであろう。O氏は翻訳は直訳をよしとするという考えであったようだが、私は絶対意訳すべきだという考えである。それは実際に日本人が翻訳に接するのは原文を読めない人が大部分だと思うからである。

原文を読める人には翻訳など必要がないというのは極論かとは思うが、概ねそういう意見をもっている。それで、O氏本人は認めるかどうかは知らないが、私はO氏に彼のもっていなかった別の意見・考え方を紹介したと思っている。

日本語の書き方についても話になったが、そのときに私自身の行っていることを話した。まず何回も自分で書いた文章を繰り返して読む。それがはじまりである。そして文章がよくなったと思ったら、数日または1週間あるいは1ヶ月文章をそのままおいておく。そしてまた読み返す。これが私がやっていることである。

だから、期限を切られて文章を書く必要があるときにはこの方法は適していない。だが、そういう期限のあるときでも考え方は同じだろうと思う。そういう訓練というか経験を経ないで文章が上手になったりしない。

私も書いた文章が、ときどき「いい文章だ」といわれたりするようにはなったが、それでもまだまだである。修業の道は険しい。もっとも私の場合には文章を書くことは趣味であって修業とは思っていないが。