先日、市民劇場で演劇「グレイクリスマス」を見た。これはまったく予想とちがって戦後の日本のある伯爵家の話を劇としたものであったが、敗戦直後から朝鮮戦争で日本が特需景気に湧くというあたりまでの話であるが、最後には日本国憲法の復習まであり、きわめて教育的である。
最後にこの日本国憲法の九条の条文を五條華子を演ずる三田和代さんがモノローグでしゃべるのは、心を寄せていた日本人二世の軍人ジョージ伊藤が朝鮮戦争で亡くなってその遺品のオルゴールがO Tannebaumの曲を奏でるときであった。
このO Tannebaumのメロディーはよく知られた曲である。私もあやうくO Tannebaum, O Tannebaum ! Wie treu sind deine Bl"atter ! と口ずさみそうになった。
最後が教訓めいてちょっと鼻白んだが、どうも日本人の感覚はまったく戦争中と変わらなかったというか、天皇中心の考えが残っており、その上にその天皇について考えたことがないということを示唆された劇であった。
いま「示唆された」と書いて思い出したことがある。先日聞くともなくラジオを聞いているとsuggestとproposeという語の説明をしていた。proposeは積極的な提案なのに対して、suggestは控えめな提案であるという。
何十年か前に初めてletterと呼ばれる短い論文をProgress of Theoretical Physicsという雑誌に出したときに、論文の末尾にこのテーマについてはSさんにsuggestされたと書いた。このときにsuggestと書き加えてくれたのはその当時指導教官であったYさんだったが、suggestという語がよくわからなかった。
いや、その感じがわからなかったわけではない。わかったのだが、その当時に辞書を引いてみたら、「示唆する」とあった。示唆という語はどうも犯罪をそそのかす場合にも使うので一般の人にはいい意味にはとられないと思うが、「~してみたら」と勧めることであろう。しかし、示唆するという語感がそのときはあまりに控えめすぎるように感じていた。