物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

第三回雑談会

2010-01-23 17:43:39 | 日記・エッセイ・コラム

さっき第三回の雑談会を終えた。この雑談会もだんだん、定例化してきつつある。

今回は『「坂の上の雲」と歴史』というテーマであったが、歴史と小説との違いはどこにあるかとかいうことがテーマになった。日本の明治維新以来の歴史に中央主権や富国強兵や植民地主義以外に選択肢がありえたのかについては議論していてどうも否定的にならざるを得ないような気がした。これはそれがよかったかどうかは別にしてである。

司馬遼太郎の小説はある一面のその作者が小説を書いた当時の世相を反映していたと考えられるが、それはまた別の一面の世相を反映していなかったのではないかという議論もでた。

1968年から1972年にかけて司馬は「坂の上の雲」を書いている。私にとってはその頃は大学に勤め始めた初期の頃のことでもあり、大学闘争とかその後の公害反対運動の雰囲気を色濃くもった時期である。だが、そういう思想的な影響は司馬にはあまりないかもしれない。

歴史小説は歴史的な事実から離れてはもちろん存在しないが、だからといって歴史的事実というにしては微妙に食い違っているということだ。


巡礼

2010-01-23 13:29:42 | 日記・エッセイ・コラム

巡礼(Pilgrimage)は日本だけにある習慣ではない。巡礼をする人、巡礼者をPilgrimといい、巡礼という名詞Pilgrimageよりもよく知られている。日本では四国の八十八箇所遍路というのが有名で故池田勇人元総理大臣が総理大臣になるずっと以前に遍路をしたとか、最近では「いら菅」のあだ名がある、菅直人財務大臣が民主党の党首選挙に敗北して「歩き遍路」に出たとかで新聞ダネになった。

フランスの国境に近い、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラSantiago de Compostela)はキリスト教の聖地として有名である。カトリックの巡礼者がこの聖地を目指す。これは日本の四国八十八箇所めぐりと同じで病気になった老人とかが、家族に迷惑をかけないようにと巡礼の旅に出かけたといういきさつもある。だから、旅の途中で病に倒れて帰らぬ人になることも多かったようだ。

キリストの奇跡に引かれて聖地へと赴く人もあれば、覚悟の旅立ちをした人もあったと聞くといつの世もそう変わりはないなと思ったりする。

いつだったか愛媛新聞にある「四季録」というコラムで絹谷政代さんというE大学医学部の先生がこの巡礼のことを書いていた。フランスでの話だったと思うが、そこでpèlerinageという語を知った。

この語のつづりをよく覚えていなくてperilnageだと思っていたので先刻見当をつけてフランス語の仏日辞典を引いて見たのだが、該当するものが見当たらなかったので、巡礼という語はあまり普通の語ではないのかなと思った。

WEBのサイトの日仏辞典で調べてみたら、「巡礼」はpèlerinageであった。なかなかうろ覚えの知識は確認が難しい。「巡礼に出る」とはフランス語ではaller en pèlerinageとかfaire un pèlerinageというらしい。 もし、「私は巡礼に出ます」というのなら、je vais en pèlerinageとかje fais  un pèlerinageという。