前々回UPの→ 「江戸名所図会」のうち、弁天島周辺の→ 拡大図を見ると、三本の立て札が描かれています。弁財天の別当だった大盛寺の立てたもので、左下から右にかけて家康がお茶を立てた湧水「お茶ノ水」、家光が楊枝をさしたところ根付いたという「御楊枝柳」、やはり家光が井の頭の文字を刻んだ「辛夷(こぶし)の木」の解説プレートです。注目は「お茶ノ水」の場所で、弁財天を祀る島と半島状に突き出す中之島のほぼ真ん中にあり、この事情は「上水記」添付の「神田上水水元井之頭より目白下附渕まで絵図」でも変わりません。
- ・ 「神田上水絵図1」 「上水記」(寛政3年 1791年)に収録された「絵図」中、冒頭に描かれた井の頭池、弁天堂付近をイラスト化したものです。
「上水記」もまた「井之頭の池建札三枚左の如し」として、その内容を各々紹介していますが、うち「お茶の水」に関する記載は次のようなものです。「井の如くかまへたる所池の汀に建札 東照大権現様 御茶之湯被為遊候せつ御茶之水に御挹被為遊候井口と申ハ即是也」 なお、現在「お茶の水」との看板のあるのは、中之島の反対側の切れ込みの先端で、場所が移転していますが、その間の事情を記したものは未読です。ただ、この「上水記」の図の描き方からも、当時から切れ込みの先端にも湧水があり、池へと流れ込んでいたのは容易に想像できます。
- ・ 中之島 井の頭池の西半分を二分する出島には、自然文化園の分園が設けられています。その根元のこのあたりに、本来の「お茶の水」はあったのでしょうか。
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