神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

久我山村用水

2017-09-29 06:36:40 | 神田川1

 「玉川上水 村の南を流る、西の方無礼村より来り、東の方上高井戸村に至る、村にかゝること凡八町許、神田上水 村の中央を流る、西の方吉祥寺村より来り、東の方上高井戸村にいたる、村にかゝること是も八町許、此水を以て所々の水田に沃く」(「新編武蔵風土記稿」) 久我山村の水田は神田上水にのみ依存していました。「杉並区近世絵図」(平成5年 杉並区教育委員会)に収録された成立年代不詳の村絵図には、神田上水と並行して左右二本の田用水が描かれ、その間の細長い区画が田圃となっています。現在の地図に当てはめると、幅70~120m、長さは1km弱というところでしょうか。「東京府志料」の数字ではその面積は十町十六歩です。

 

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    ・ 「久我山村絵図」  「杉並近世絵図」(平成5年 杉並区教育委員会)に収録された「久ヶ山村絵図」を元に、久我山村の水田や田用水を強調したイラストになっています。

 大正5年(1916年)に発行された「豊多摩郡誌」は、この田用水を小川と呼んでいます。「神田上水の分流二派あり、本流を挟みて来り久我山の中央に至り共に本流に合す、・・・・高井戸村の水田過半この水利に依れり、里俗小川或は上げ堀と稱す。川幅及び水深共に三尺に過ぎず。」 一方、「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)には、「大川 神田川のこと 昭和20年ころまでの子供たちの呼称、玉川上水その他の用水にくらべ広かったからであろう」とあります。本流の大川(おおかわ)に対し田用水が小川(こがわ)というのは、当時は一般的な使い分けでした。

 

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    ・ 神田川  久我山駅前に架かる久我山橋から下流方向です。「村絵図」の中央にある橋ですが、「東京府志料」では新道橋、「豊多摩郡誌」では都橋となっています。

  久我山橋から次の清水橋にかけて、右岸段丘が徐々に接近しているのが分かります。このため、上掲「村絵図」でもそうなっていますが、右岸の田用水は流路を失い本流に戻っていました。これに対し、左岸の流域には余裕があり、その田用水は「村絵図」通り本流と並行、上高井戸村に向かっていました。ただ、昭和40年代初めに、京王電鉄富士見ヶ丘検車区が設けられたため、その北縁をめぐる左岸流を除き、この区間の大半の痕跡が失われてしまいました。