神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

丸山橋、井の頭線鉄橋

2017-09-20 06:54:03 | 神田川1

 神田川は三鷹台駅前に架かる丸山橋の先で二個目の鉄橋をくぐり、井の頭線の右手にシフトします。その後、直線コースをとる井の頭線に対し、神田川は右カーブで弧を描くため、次の久我山駅まで両者はしばらく離れます。ところで、鉄橋をくぐるまでの神田川は、500mほど井の頭線と並行していますが、当初からそうなっていたわけではなく、昭和10年代から30年代にかけて、順次改修した結果です。これに対し、神田川全体の改修は下流から着工され、久我山駅以西に及んだのは昭和50年代なので、最上流の親水エリアを除くと、鉄橋をくぐった直後が最後に直線化された区間です。

 

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    ・ 「地理調査所発行の1/10000地形図(昭和33年修正 / 井之頭)」  三鷹台駅が丸山橋の下流側に移転したのは昭和57年(1982年)です。

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    ・ 神田川  三鷹台駅前にかかる丸山橋からのショットで、右手は三鷹台駅とそのプラットホームです。奥の右カーブの先で神田川は鉄橋をくぐります。 

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    ・ 井の頭線鉄橋  くぐった先から振り返ってのショットです。上述のようにこの区間の直線化は遅れ、「空中写真」を追ってみると、昭和50年代中ごろまで蛇行していました。

 <京王井の頭線>  京王井の頭線は昭和8年(1933年)、渋谷、井の頭公園間で営業を開始し、翌年、吉祥寺駅までの全線が開通しました。当時は帝都電鉄線と呼ばれており、京王線を経営していた京王電気軌道とは関係なく、むしろ小田急と同じ電力会社の系列でした。戦後の私鉄再編で京王帝都電鉄井の頭線となり、平成10年に社名が京王電鉄に改められました。建設が昭和に入ってからと遅れた分、鉄道の利便さが浸透していたため、地元も駅用地を無償で提供するなど積極的で、「杉並風土記(下)」(森泰樹 平成元年)によると、線路用地の買収価格は水田で坪1円、畑が坪8円と破格の安さでした。ちなみに、当時の地価は水田が坪5円、畑は宅地に転用できるので、坪15円から20円だったそうです。