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もう一人の男の友達

2019-11-23 | 随想

基町クレド 2014年11月


毎日毎日、昔の男の子の話書いて、こんな記事、需要ある筈もなく、人様には退屈なだけ。

でもシニアのブログはボケ防止ですよね。今、昔のこと思い出す波が来ているので、忘れてしまわないうちにこの人のことも書いておかねば。そう思って書いてます。平にご容赦を。

もう一人の子は、過去の人ではありません。今年になってからも電話貰ったし、同窓生が集まる時は何となく二人で幹事役する流れなので、今のことや個人が特定されるようなことは書けません。

同じ、文科系の部活していたんですよね。部のみんなで、お弁当持ってよく遊びに行きました。屋島や塩江の奥や観音寺に海水浴に行ったこともあるので、友達といっても遠くの親戚くらいの感じ。

同じクラスになって、修学旅行があって、男女一人ずつ修学旅行委員という役があって、その男の子と、女子は私ではなく、別の人でした。彼女は美人で頭が良くて、背が高くて、私の友達がライバル心燃やしてましたけど、私は特に。。。。

でも私は差し出がましくも、修学旅行の準備いろいろ、その男の子、R君としておきますけど、とした記憶がある。

修学旅行委員の女の子は、自分の友達数人で、放課後の教室に残り、広島へ持って行く折り鶴をせっせと折っていた。その人たちがあまりに楽しそうなので、私の美人の友達が悔しそうに、「今度の旅行はあの人たちが中心よね」と言っていた。でも彼女たちは鶴折るだけ。

私は裏の、影の修学旅行委員。

何したかと言えば、学校からくれる旅行のしおりのほかに、クラスだけの旅行のしおりを作るのです。

内容はバスの毎日の席替え、バスの中でのレクレーションの計画、夜、旅館の大広間でクラスごとの遊びの計画(ほかのクラスはしたかどうか知らない)などなど。そして最後は歌詞カード付き。カラオケなくても昔はみんなで歌っていた。今になるとちょっと信じられないけど。

何を盛り込むかをあらかたR君と話していたけど、時間足りなくて日曜日の午後、わが家へ来て相談した記憶がある。その時一緒に来たのがP君で、二人とも自転車で30分くらいのところを我が家にやってきた。P君が我が家に来たのはその時の一回きりだけど、R君は私の弟とも友達になってくれて、私が結婚した後は私抜きで遊んでいたらしい。

当時の我が家は典型的な田舎の家の間取り、私が中三のころ、父が弟二人と私の勉強部屋を庭の一部を潰して建ててくれた。10畳くらいの洋間で、渡り廊下でつながった離れになっていたので、弟の友達も私のところへ来る子も、玄関通らず、庭を通って、廊下の掃き出し窓から上がってくる仕組み。これはなかなかよかった。

なんで本当の委員差し置いて私がそんなことする破目になったかと言えば、なんでだろ。R君が私との方がやりやすかったのかも。P君はR君の弟分みたいな感じだったので、一人で来にくくて声かけたのかもしれない。

今、つくづくありがたいなと思うのは私の両親は、私が、どんな友達と付き合おうが、全然反対しなかったこと。全く自由にさせてくれたこと。家に男の子が訪ねてきてもうろたえることなく、お茶やお菓子や食事も出してくれたこと。内心はどう思っていたか知らないけど、まあ友達はいないよりはいる方がいいくらいに思っていたのでしょう。

原案作って、印刷は今みたいにパソコンないので、部の道具使って私がほとんどガリ版切ったと思う。R君も少ししたかも。ホッチキス留める製本を我が家で三人でしたのかも。この辺り記憶あいまい。

毎日教室で顔会わせて、部室で一緒で、たまには家にも来るんだけど、彼もまた友達でしたね。今思えば。彼はすることが大人びていて、生徒会もやってたし、祝祭の中心にいた人。そばにいると楽しかった。女の子からもてまくってたので、私なんか出る幕ないと初めから諦めてたけど。

でも一緒にいることが多くて、いろいろ遊んだので楽しい思い出もたくさん。高校卒業してからは弟とも遊んでくれた。

彼は大学に行く傍ら、関西のさる企業の社長さん宅に住み込み、そこの中学生の男の子のお兄さん役していたらしい。一緒に遊んだり、勉強教えたりが仕事内容で、食事と部屋は社長さん提供。あの人らしいと、友達同士で感心した記憶がある。

まだ学生だった頃、春休みの真夜中、弟が車でどこかへ行こうと言い出して、先ずZ君の家に行き、ピックアップ、それからR君の家にいきなり押し掛けたことがある。かれはコタツでテレビ見ていたけど、ご家族はすでに就寝中。就寝中にも関わらず、お母さまが起きてこられてカステラ出してくれた。

もう、若い盛りの娘がとんでもないことしています。真夜中に人の家訪ねて、親起すなんて。本当に失礼しました。弟がいたから親も何にも言わなかったから、弟にも感謝ですね。z君も元は私がらみの人だけど、私と友達になる間もなく、弟と友達になり、ずっと長くお付き合いさせてもらいました。もう故人になられましたが、感謝ですね。

結婚する直前まで、私は実家から仕事に行っていたのですが、あとひと月もしたら結婚式という頃、ばったりと高松市内の丸亀町商店街でR君に会ったのです。喫茶店で一時間くらい話したと思う。

もうすぐ私は広島へ行くと言えば、彼は四月から大阪の新聞社で働くと話していた。留年したのか、院へ行ったのか聞きそびれたけど、R君に新聞社って、ぴったりの仕事だと思ったのを覚えている。

なんかもて自慢みたいに読まれたらごめんなさい。

私は容姿も成績も普通の範疇。でも、きれいな人、頭のいい人がたくさんいる学校で、私なりに楽しく過ごせたことを出会った人達に感謝したいと思う。

このブログ、高校生や若い人が読んでるとも思えないけど、若い時に楽しく過ごすコツは自分から楽しい気持ちでいることかな。どうせ私なんてと暗い顔していては、男の子も女の子も寄って来ません。容姿の足りないところは愛嬌でカバーして、いつもニコニコ明るくふるまう。

キャンプ何か行っても、きれいな子は見栄えのいい楽な仕事して、できなーーーいなんて言ってキャッキャ騒ぎ、男にちやほやされるけど、そんなのにいちいちめげず、誰もしたがらない地味な仕事を率先してやりましょう。

たった一人、そんな姿に目を止める人がいればいいのです。私の経験上、その一人もいないことが多いけど、普通の人間が美人の真似しても痛々しいだけ、自分は何の取り柄があるのか冷静に考えて、そこで勝負する。とまあ、昔の自分にアドバイスするならそこでしょうか。

頭のいいのも、きれいなのも、持って生まれたもの。そこを羨ましがってもしようがない。自分は自分らしく、一番大切なのは誠実さ。どんな時も人よりちょっとだけ嫌なことも引き受ける。それもアドバイスしたい。

男の子シリーズもそろそろネタ切れ。いつまでも昔話している場合ではない。年末にかけて忙しくなる予想。何でも早め早めに。

つまらない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。


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