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機織り教室の妄想

2020-06-28 | 機織り

2015年7月。教室がなくなり、家で織り始める。

手始めの裂き織り。布は姑様からもらった誰かの産着の長じゅばん。もしかしたら姑様のかも。90年以上前?ピリピリと気持ちよく裂ける。


私が機織りを始めたきっかけは、東広島市福富町のイベントで、高機で裂き織りしている人に出会ってから。

教えてくださいとお願いしたら、織り機が一台しかないのでできないと断られ、テーブルセンターを一枚買わせてもらって引き下がった。

次いでネットで機織り教室を探して、少し遠いけど、高機を10台以上並べた工房にたどり着いた。。

通ったのは2009年11月から2015年5月までの5年半。長かったけど振り返ればあっという間の年月だった。

機織りの織り機は高価。途中で外すわけにはいかないので一人一台、他にも道具がいろいろ必要で、広い場所も必須。私の知る限りでは、究極の贅沢なお稽古と思っている。

工房は先生の持つ貸家。2DK2戸の境の壁を取り、広い空間に織り機を並べていた。千巻をする部屋、お昼を食べる部屋もあり、お稽古をする環境としてはとてもよかったと思う。お稽古代も格安で、今でも当時の友達同士、いい教室だったと懐かしく話すことが多い。

朝10時から午後3時まで週に一度たっぷり教えてもらった。月曜日と金曜日が教室で、両方行ってもよく、そこで機織りを習い、心配事をあれこれ相談し、教室を離れて遊びに行き、楽しい年月だった。

閉鎖になったのは、先生が障がいのある人たちのグループホームになさったから。とても残念だったけど、その時教えてもらったことと知り合った人たちはこれからの人生、私の得難い宝物になった。

やめるときに一人一台の機織り機、筬通し、綜絖通し、綾棒、筬60/10㎝と70/10㎝などもつけて全員に下さった。感謝してもしきれない。

先日友達と話していて、雛人形の時期に人が来ることが多いのでついでに機織りしてもらうと漠然と考えていたけれど、これを定期的にサロンみたいにできないかなと妄想膨らまている。

コロナ自粛は振り返ると退屈だった。これからは年取っていくので自分から求めないと人付き合いは減っていくばかり。体の元気なうちに、ちょっとやってみたくなった。

いきなり知らない人がどやどやと家に来るのは困るので、まずどこかで個展のようなものして、希望者募り、身元もはっきりしている人数名から。お稽古代もちょっと高くしたらいいのかな・・・

織り機一台のわが教室は、ふた月に一度、事前に予約取って、15センチ幅くらいのコースーター織ってもらう。

初めは毛糸などで平織り、次いで簡単な模様など。

観光地の機織り体験みたいに、一枚織ったら糸を切って手前で結びなおしてまた別の人が織る。という感じで。

今年は出す予定にしていた展示会が流れたので、来年年明けまで5枚くらい違う柄のものを織り、教室は見てもらってからですね。

できるかどうかわからないけど、二月に一度、我が家の居間と機織りしている4畳半開放するくらいならできるかも。

と、考えるだけでちょっと元気になった。進捗状況、またこちらで報告させてください。


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