ブログ

 

「テルちゃん」 玄侑宗久

2020-01-31 | 読書

一月も終わり。 今年も残り11か月になった。大過なく過ごせますように。

2015年1月。高松市、栗林公園で。


ささやかな介護の体験者として、読みながら、こんなにムカムカして腹立つ小説は初めてだった。

著者は僧侶にして芥川賞作家。そんな人の書いたものに文句つけるのは気が引けるけど、実際に在宅介護の経験はないと私は感じた。もし、違っていたらごめんなさい。

介護がどれだけ大変か、著者はわかっていないと思う。そこのところが一番引っかかる。小説の中では、別居している次男とその妻は、インドネシアから来た長男の若い嫁の善意に頼るだけ。

東北南部か北関東の地方都市が舞台。小説の始まる時点で、義母の長男(テルちゃんの夫)はすでに死んでいる。テルちゃんと呼ばれるエテル、介護の要る義母、二歳の子供の生活は義母の年金と長男の生命保険金だけ。家は農家でもなさそうで、特に資産があるわけでもない。

建設業の次男、中学教員の次男の嫁は子供がない。この二人は月に一度くらい覗くだけで、来た時には手助けするけれど、次男は介護は基本的にはテルちゃん任せ。次男嫁は私が学校やめるわけにいかないし、と及び腰。

それならお金の少しも出せばいいと私なんか思うけど、全然知らんふり。そればかりか親族の葬儀で里帰りした後、テルちゃんの貯金通帳探して、持ち逃げされてなかったと安心する。あんまりである。

夫の死んだ後、介護の義務のないテルちゃんはけなげに義母の介護をする。週に二、三度の浣腸と便の始末もする。次男は一度するけれど、親の便は見たくないとか言い、次男嫁は初めから手出ししようとしない。

お金出さない、手助けもしない。それなら感謝の一言もあってしかるべきだけど、純粋無垢、天使のようなテルちゃんに心が洗われていくばかり。

今の日本人で、ここまでする嫁はいないのでは。義母が死んで、相続はどうなる?

放棄してテルちゃんに家屋敷譲るなら、まあ多少は次男夫婦のこと許してもいいと思うけど、この作品の後、どうなるんでしょうね。

作者はそこまで考えて書いたかどうか。

日本語がたどたどしく、運転免許の学科試験に何度も落ちるテルちゃんは、異世界から舞い降りた少し能力の足りない、無垢な天使。その設定でないとこの作品は成り立たない。

日本人にできないことを、インドネシア人に押し付けてえんかいな?

貧しくて自国で生きられない人間はそのくらい我慢しろとでも?

民族差別になってませんか?外国人差別になってませんか?

最後は、テルちゃんの行いを通じて、テルちゃんの子供たちや(前の結婚の時の子供を一人呼び寄せている)、次男夫婦の緩やかで温かいつながりとして、家族が再生する。

次男嫁の玲子も心がほぐれ、絶縁状態だった自分の親に会いに行こうとする大団円。


介護を経験したことない人はきっと感動すると思う。

でも介護をした私には突っ込みどころ満載の小説。いい気なものと思った。

だいたい、義母がこんなに順調に自宅で死んでくれなかったらどうする。毎日、毎日同じことの繰り返し。百歳まで生きることもあるこの長寿社会、小説もいつまでたっても終わらない。


自分の親の介護を、長男嫁という他人に任せている全国の皆様。

介護の間はまめに顔を出して交代する。

仕事そのほかで行けないなら金銭の援助をする。

その時には感謝の言葉を伝える。

ということをお願いしたいと思います。

介護者をいたわることも、被介護者への思いやり。

しかしたいていは、たまに来る人間に限って、介護の仕方にあれこれ文句言った

り、自分がいないときのことまで指図して帰るもの。

認知症に効くから「私が歌を入れたテープ聞かせてあげて」とか、「肌にいい乳液塗ってあげて」とか。

余計な用事増やさんでほしいものです。って、おやおや最後は個人的な感情になりましたね。

介護しない人間はこんなにもノー天気なんだと、この小説読んで参考になりました


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マンションの助言もらう | トップ | あーん、売れちゃったようー »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。