私はgooブログを4つ書いているのですが、長い間放置していた被爆証言集のブログ、その時の友達に17年ぶりに東京で会うので、読みやすいように体裁を整えています。
本日は2集を見直し、ファイルのなくなった、本文と直接関係ないカットは落とした。図表は元のデータを失くしているので、本のページを写真に撮って挿入する予定。
証言そのものは今は読みなおすことはないけれど、編集しながら、お話を聞いた時のことをまざまざと思い出していた。
元々は地元公民館の広報誌に、会が「ワープロ入力する人を募集している」とあったので、そのくらいならお手伝いできると思って軽い気持ちで参加。
行って見ると数人の会員、主に活動するのは3人くらい、気が付くとこの私も証言を聞き、テープ起こしをして原稿にまとめるということをやっていました。
ちょうど20年くらい前ですね。それまで断片的に被爆の話は耳にしましたが、長い時間をかけてじっくり話を聞くことはなかったので、その内容には結構衝撃を受けました。知っているつもりでしたが、実態はもっともっとひどいものでした。
「お水頂戴」という同級生の女の子を見捨てて逃げた・・・「私はそういう男なんです」と初老の男性が男泣きされるので、聞く私たちもついもらい泣きをしたことも。
極限の状況では人はどのように考え、動くのか。その事では多くのことを知りました。自分たちが本を作って世間に知らせるというのはおこがましい。私たちが被爆証言を聞くend userの側面もあったのだと今は思います。
自分の人生観が少し変わるくらいの体験でした。悲惨の極みで、人間の逞しさ、美しさが花開くのを知ったような気がしました。半面、その体験から何を考え、今のそしてこれからの日本の在り方をどうするかという聞かないという会の方針に、私自身はやや物足りなさも感じました。
原爆の被害が大きな自然災害のように語られ、それでお終いではいけないと思います。そこからは、人には思いやりを持ち、友達を仲間外れにしないという当たり障りのない結論が導き出されがち。
個人としてできることはとても限られていますが、どうしたら戦争をしないで済むか、学び、考える。それしかないように思います。
平和だからこそお菓子も買える。
明日の茶話会用。おかき、イチゴ大福、プリン。
自宅用。
頂きます。
舟入のダイキ隣、シャトレ―ゼで買う。私はもう車に乗らないので、夫に連れて行ってもらう。