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マスク回収箱

2020-04-16 | 随想

メルカリとかヤフオクにマスク出すのは禁止らしい。

余ったマスクを寄付するのはいいらしい。

呉市のさるメーカーが持っていた高性能マスクを、確か千枚単位で、市に寄付したことがニュースになっていた。

なるほど。要らないマスク、人に上げるのは別に構わないんですよね。家庭に余るマスクも未開封のまま、近所の人に上げるのはOKですよね。

この際、区役所のロビーに未開封の不要マスク回収箱作ればどうでしょう。要らない人は持って行き、要る人はもらってくるという制度。ただし、枚数制限はした方がいいのかな。


450億で、検査体制の強化拡大、医療物資の調達生産、軽症者の収容施設の整備、医療従事者への支援と、使い道はいくらでもあったはず。

大所高所から、その時々で一番大切な政策ができないのは政治の劣化。佐藤優氏が著書の中で、愚かな政治家が自滅するのはいいけれど、道連れになるのはまっぴら。これからは、世界中のどこででも生きられる能力を身に着けるべき、と書いていたのを思い出した。

その時はその通りとうなずいたけど、今は国外にも出られない。佐藤氏もまさか今日の事態は想定していなかったと思う。

じゃどうすればいいか。

人の言うことを信じ込まず、生き延びるにはどうしたらいいか、考えることでしょうか。

オリンピックです。言い出したのは石原慎太郎、誘致したのは安部。ああいう大きなイベントは、祝祭の気分で世の中の不満をそらし、国民の一体感を作り出すにはうってつけ。しかし、その縛られる感じがいやな人もたくさんいることでしょう。

今回のことも、オリンピックを決めたとおりに実施したいと頑張っていた政府。そのためには感染者を増やしたくない。そのためには検査のハードルを高くする。それを狙っていたと、私も思う。

そのつけが今になって出てきて、感染者が急増しているのでは。いえ、感染したのは3月末から4月初め。まだまだ世の中危機感がなかった。3月27日、金曜日。西日本はかなりの雨。各地で宴会があったことでしょう。

そして、これからもっともっと暮らしは厳しくなることでしょう。

新型コロナにマスク二枚、まるで原爆に竹槍で戦うような・・・

 

 

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コロナが終わったら

2020-04-14 | 随想

したいこといっぱい。

孫と遊びまくる。

三男の家へ遊びに行く。

旅行しまくる。

農家民宿、島宿、ヨーロッパ・・・

友達に会いまくる。

家で女子会、何度もする。

次男のマンションの引っ越し祝い、みんなでする。

忘れてた。姑様の顔も見に行く。

取り立ててどうと言うことのない毎日の暮らし、できなくなってようやく、かけがえのない大切な日々だったと気が付く。

この嵐が過ぎるまで、静かに暮らしていこうと思います。

皆様も何卒ご無事で。みんなで乗り切っていきましょう。

 

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コロナではなく、コロナ疲れ?

2020-04-04 | 随想
昨夜、熱は36度2分。早めに寝て、今朝は多少いい感じ。今は安静にしています。
昨夜、夫が東京義弟に電話したところ、仕事が暇なことと、物資不足を言っていたとか。
こちらに避難したらと言うつもりだったけど、そうは行かない事情がいろいろありそうで。
今はみんなで耐えて頑張るしかないのでしょう。
私も頑張ります。



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花冷えの日

2020-03-29 | 随想

ヒロシマエバヤマサクラ2019年3月


本日、別の友達と4人で再びキャラりーへ。

さすがに飽きたけど、例によってデパート駐車場に車停めて、ギャラリーはその斜め向かい。

先生は今日も詰めておられて、満足そうな表情。

絵を展示するというこの空間が居心地いいんだろうと思った。

絵はすぐに見て、いつもならそれから誰かの家で延々夕方まで遊ぶのだけど、さすがに今年は誰言うともなく自粛。

私は途中で降りて、NHKのロビーで開催中の水彩画展見てきた。こちらは風景中心。やわらかくあたたかな筆遣いのヨーロッパの町並みなどがよかった。


近くの大学の卒業生が感染していた。今は福岡県在住。3月初めにヨーロッパ旅行したそうで。その後卒業式にも出たとか。これ以上広がらないといいけれど。

ほかに先日の感染者のつながりで二人。飲食業ではなく、美容院だそうです。


マスクは年明けに近所の安売りスーパーで買ったのを少しずつ使っている。家にいる日はしないのでまだある。

その時は50枚入り、税抜き79円だった。1枚が1円50銭くらいですか・・・今の事態予測してたら10箱くらい買ってたのに、残念。

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春の空に雲一つ

2020-03-20 | 随想

本日11時からの葬儀に参列。

今は花が余っているのか、ピンクや赤の華やかな花がたくさんお供えされていて、それを次々お棺に入れる。

私は大きなガーベラの、ピンクをお顔に一番近いところへ置いた。

元は夫の高校の同級生とその奥様、昔もよくお付き合いしてその後中断、この五年くらいは四人で一緒に山歩きをした。はじめは年に二度、最近では二か月に一度、四人で出かけていた。

最後が年末の大竹の山。2月に再入院して、そこからは進行が速かったそうです。

両足を手術たことがあったとのことで、下山が特に難しそうだったけど、決して弱音を吐かず、黙々と歩いていたのはお人柄でしょう。山では性格がもろに出ますもんね。

私は山でも下界でも、「うるさいわね、いちいち指図して」と夫に逆らう人。彼女がご主人に逆らう姿、一度も見ていない。ご主人も奥様をいたわる。我が家と大違い。

どの山でも、男二人がさっさと下山するので、女同士ゆっくり下りていた。

その時二人で話していたのはたわいもないこと。子供や孫のこと、自分の昔のこと。でもそのたわいのない会話こそが、宝物だと今ならわかる。ずっと一緒に遊べると思っていたのに。

最後にお棺に花を手向けるとき、ご主人がずっと顔を見ておられた。その姿を見るうち、私は、45年くらい前、広島駅へ新婚旅行のお見送りに行った時のことを思い出していた。私たちが25歳くらいで、奥様は22歳くらい。

あれから長い年月が経った。みんな、あんなに若かったのに、こうして一人ずついなくなっていく。。。。

出棺の時、川の向こうの青空の低いところに小さな雲が、ぽっかりと浮かんでいた。

「あんなところに雲がひとつだけある」と夫に話し、それからお見送りして、駐車場へ戻る時、「もう雲がなくなった」と今度は夫が。

私は探さなかった。

常日頃、眼鏡、財布、鍵などなど何かしら探している人なので、雲だってぽっかりと出てくると思うけど、急に消えたのならそれでもいいなあと思った。

あの雲が**さんで、空の上から私たちにお別れ言っていた・・・と、メルヘンには流れない私ですが、そう思いたい気持ちもあった。

また落ち着いたら一緒に山歩きしたいと思う。私はもう行かない方がいいかなとは思うけど、どうなんでしょうか。まあ、成り行きで。

喪主あいさつがよかった。私の時もいい挨拶してねと夫に頼んだ。

本日の決意3つ

遺影用の笑顔の写真撮っておく。

個人の思い出の写真を見る場面がよかった。どれも笑顔で家族や友達と。私も10枚くらい、いい写真探しておく

要らないもの捨てる。一日一時間、捨てるものをより出す。

以上の三つです。ため込んだあれこれ、もう使わないと思うので。

 

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庭掃除した

2020-03-18 | 随想

もう、お彼岸、入ってますよね。

朝から暖かい。

今日は、かねて気になっていた庭掃除します。

庭と言ってもマンションとビルに囲まれまくった、半日影の狭い庭。

隣地との境界線が確定してリフォームして早4年、少し落ち着き、少し不満も出て、庭のあれこれ、見直しです。

まず、木を一本抜きました。コバノズイナ、日陰で花が咲かず、葉もきれいに紅葉せず、処分することに。

地植えの木を抜くのはたいそうな労力でしたが、掘って掘って掘りまくり、何とか終了。やれやれ。

あとに何植えるかまだ決めていません。

4年前の本見て考えます。少し背の高い木も欲しいかな。車に積むには限度があるので、アラカシを実生で育てるとか・・・うーむ、寿命との競争だあ。

節約命の私、業者には頼まない。自分でできることは自分で。

うーーーむ、やはり近所の山に普通に生えているのが育てやすいのかも。

シデコブシ。きのうは一つだけ半開きが、きょうはもうこんなに咲いた。

30くらいつぼみかついている。楽しみ。

クリスマスローズもそろそろ終わり。

長く楽しませてもらった。

ヤブカンゾウ。今年も咲きますように。

一年に一度花が咲き、四つの花が四日間で咲いて終わり。山野草の宿命。

あと、シロモジも花盛りだけど、小さな花で前ボケの写真になったので省略。

庭の落ち葉もしっかり集めて、草抜いて、肥料まいたらもう昼。やれやれ。

午後から、庭でお茶しました。もう外でも寒くない。

夕方から猫除けの粒剤播きます。我が家をトイレ代わりにする猫、今は二匹。首輪ないので野良猫らしいが毛並みつやつや、元気いっぱい。

何が地域猫よ。フン!!

野良猫に餌をやる心優しき愛猫家の皆様、その猫がどこでフンしているか、想像していただけたら幸いです。黙ってフンの始末している者のいることもお忘れなく。

おやまあ、最後は喧嘩腰になりました。駄文深謝。

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二度死んだ子供たち

2020-03-17 | 随想

水ぬるむ本川(旧太田川) 2017年3月


https://www.youtube.com/watch?v=Nm0Hp8t2p58

前世紀のことですが、戦後初のアメリカ訪問の前に記者会見がありました。

わが地元中国新聞の記者が、広島の被爆者についてどう思うか尋ねると、そういう方面は研究していないのでわからないという回答だったと思います。

政治的発言を回避してのことと思いますが、それでも用心した上での何か一言があれば、気持ちが救われた人はたくさんいたことと思います。

ああそうなのか、やっぱりと、私はがっかりしました。

広島では建物疎開に動員されて被爆し、なくなった中学生、女学生がたくさんいます。物心ついたころから軍国主義教育で、非戦闘員なのに殺されてしまった子供たちに、戦争中なので、気の毒とは思うが仕方なかったと言う言葉だったと記憶しています。

それもまた政治的発言を避けてのことでしょうが、言い方、ニュアンスで、言葉にできない思いは伝わるはず。

仕方なかったでは、その人の為と教え込まれて死んだ子供たちが浮かばれません。

あのとき、広島の子供たちと、被爆死した人たちは二度死んだと思いました。

私は侮辱するのは許せないとビラを配る側には立ちません。この国にタブーがあるのが重苦しくていやなのです。

人を疎外する制度を一刻も早くなくし、制度の中の人たちには、今の日本人が持っている基本的人権、結婚、職業選択、移動の自由、奴隷的に拘束されない権利などを持ってもらいたいと思います。

その上で、旧家としてのその家の人たちを、個人で好きなのは全然かまわないと思います。あなたの好きなものはどうぞご自由に好きでいて。でも、私にまで強制しないで。そういう気持ちです。


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市民もいろいろ

2020-03-16 | 随想

元の動画は消えてるのに、称賛するエントリーは消してない。

http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1996.html#comment

市民と言ってしまえばみんな市民。郡部に住んでない限りみんな市民。郡ってまだあったかしら。

先日、要望出した会の代表者も市民。市民って本当に都合のいい言葉だと思う。


昨日からふと考えたのですが、生身の人間を据えるのは生物学的にリスクが高すぎ。そのためにお妾制度が昔からあるのだけど、近代的一夫一婦制を取り入れた時点で、今のような先細り状態も考えられるわけで。

どうしますかねぇ。

例えば樫の大木とします。その木は立派で、大きく枝を広げ、遠くからでもよく見えて目印、木の下へ行くと涼しくて安心する。みんなが好きな木。たまに嫌いな人もいるけど咎められない。木を守るために死ねと、誰からも言われない。

木の樹齢が尽きる前に、どんぐりから育てた次の木が育っている。いよいよ枯れたときには若木がその地区の新しい目印。みんなの気分も一新する。

そう、伊勢の遷宮や、諏訪の御柱祭などのイメージ。

制度を担うのは生身の人間でなくてはいけませんか。人はみな同じように尊い。不可触の制度があることが、人を人から区別する大元になっていませんか。

何処の家に生まれるかは本人の手柄でも落ち度でもない。

一度、直筆の字が公開されたことがあります。とても癖のある字、長い間拘禁された窮屈さを感じさせる字でした。

彼の人の自我はどんなものだったのだろうと考えるのです。

何かをありがたり、それをありがたがる自分は偉くて、そんな自分が大好きな人は、生身の人間に頼るのではなく、対象は何でも、木でもいいじゃないですか。

木もこの国の制度ができたころには生えていて、ずっと代替わりした万世一系のありがたい木、それでいいじゃないですか。たとえですけど。


私は戦前を想像するのですが、窮屈だったのでは。なんでそんな窮屈な時代を称賛するかと言えば、その時代にいい思いをした一族の末裔なのでしょうか。また昔の栄華を取り戻したいのでしょうか。わかりませんけど。

とにかく昔の教育がよかったなんて言ってもらいたくない。自由にもの言えない時代に戻ってほしくない。

昔を称賛して、いつまでこんなことが続くのかと、暗澹たる思い。

私たち少数派?って、市民を称する会の代表が焦ってどうする。そんなことないと論陣張らなきゃ。誰か論破してくださいって、頼りないなあ。


最後に。
またまた記者会見しているけど、作文読むだけじゃ全然伝わらないですよね。なんで自分の言葉で話すことができないの。結局、能力って言葉なんですよね。言葉で人間はものを考えるんだから。それができないのは見ていて腹立たしいを通り越して痛々しい。
前もっておぜん立てしてもらわないと何もできないのでは、もう無理では?


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安全地帯コンサート@広島 10年前

2020-03-11 | 随想

どうでもいい前置きを。

最近新型肺炎でどこへも行かず、退屈で気が滅入る。何かすればいいんだけど、差し迫ってしなければならないこともないし。機織りも洋裁もしなければそれで済んでいくし。

元気出すためにたまたま昔聞いていた音楽、Youtubeで流しながらブログ書いていたらだいぶ元気出てきた。

私はソロ活動の最初のアルバム「All I Do」から聞き始めたのかな。その前のいろいろなヒット曲は、歌もご本人も過剰でちょっと近寄りがたい感じだったけど、このアルバムは当時の私の鬱屈した心を元気づけてくれた思い出の曲。

それからコンサートも行くようになり、10回くらいは行ったと思う。年の頃なら30代終わりからの数年間。

あれから長い長い時間がたった。ずっと聴いてなかったのに、昔のコンサートのDVD流していると掃除もはかどる。

https://www.amazon.co.jp/me-%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%9C%B0%E5%B8%AFLIVE-DVD-%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%9C%B0%E5%B8%AF/dp/B00005HRNW/ref=sr_1_11?qid=1583902847&s=dvd&sr=1-11

えっ、こんなに高いの。ある時DVDがどれも1,500円くらいのセールしていて、そのときまとめて買った記憶が。

音楽の好みは人それぞれ。また時期によっても好みが変わる。今は、元気になるまでは安全地帯かな。

引用こちらから 2010年7月23日。


今夜は約二十年ぶりに安全地帯のコンサートへ。席は一階前の方の通路横。ステージがよく見えます。
19:10開始、最初からたくさんのヒット曲を歌いまくり。

キラキラのど肝を抜く衣装。ちょっと広島太郎みたいな感じ。
ん、広島太郎????広島太郎は広島市民ならだれでも知っている有名人。画像もたくさんあるのでgoogってみてください。
でもあの広島太郎である。やばいなあ~と思いつつ見ていたけれど、最初からpower全開でまあそんなことは気にならなくなった。
「プルシャンブルー…」の「さび」ではファンを一人ステージに引っ張り上げ、抱いて歌ってましたね。サービス精神旺盛。

アコースティっくな歌ではメンバーもギターも替えてしんみりと。昔持ち歌の少なかった頃の歌っていたという「小さな秋」…うまかったです。

インスタルメンツのあと、いきなり白い衣装で登場。会場を歌いながら回る。コンサートスタッフ数人が必死でガード。
私の目の前を通ったので、衣装の上からタッチ。いい生地でしたよ。たぶん麻。
ご本人、背は高からず低からず。いゃあ、二十年前でも結構気恥ずかしかったけど、この歳でいいのかと一瞬躊躇もしなかったけど、まあこの世の思い出に。

昔のコンサートでもこのビラビラ、会場に降ってたように思う。今回も。拾って振り回し、お土産に。これもまたこの世の思い出に。

実は連日の暑さにバテ気味。
その上、昼間は織りのおけいこ。昼夜帯は織り方が複雑で、どこを踏んでいたかすぐ分からなくなり、結果柄がめちゃくちゃに。
疲れ果てていたけれど、コンサートで騒ぐうち元気になった。会場では浴衣着た娘さんも。
私も着物着ていくつもりだったけど、体調イマイチで見送った。残念。

コンサートは7,800円+手数料で結構なお値段だったけど、元気になったのでまあ良かったかな。

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不敬ですって・・・?

2020-03-10 | 随想

昨日の動画の説明で、不敬の内容があるとの表現にびっくり。

不敬罪は戦後の憲法ができたのに合わせて廃止されています。

ただ、名誉棄損などがあった場合、ご本人たちは声を上げられないので総理大臣が変わって告訴することができるそうです。

不敬という言葉を使うこと自体、この人たちの感覚が余りに古く、かつ危険と私は思います。何かを敬い、絶対にノーと言えない人間を作っていた時代に決して戻してはいけません。

なんでそこまで敬うのか、私には意味が分かりません。敬われて、ご当人たちが本当に喜んでいるとは思えません。自分たちの時代錯誤の思い込みと空疎な信仰で、生身の人間に重荷を背負わさないように願いたいものです。

少し前から、結婚延期に対して、ネット上で興味本位にあることないこと、無責任な言説が横行しています。市民の会の人たちは、こちらにこそ目を向けてほしいものです。こちらは「不敬」ではないのかな?

私個人の意見ですが、よそのお宅の結婚話に口挟むのはあまり上品な行いとは言えません。ご本人たちに任せておきましょう。幸せになるのもそうでなくなるのも自己責任。それでこそ生きている醍醐味ではないでしょうか。

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快、不快はひとそれぞれ・続編

2020-03-09 | 随想

今年秋、広島県で「広島トリエンナーレ」という美術展が開かれる。

先般の「愛知トリエンナーレ」と同じ形式で、出品作家は全く同じではないのかもしれませんが、全容がまだわからない段階で、広島県内の一部の人たちが「多くの人が不愉快に思う作品は許せない」と県に抗議し、県では外部委員会を作って作品の是非を検討する方針を出しました。

私はこの委員会設置には反対です。

彼らは市民団体を標榜していますが、実態は例の教科書を作り、採択運動をするグループが中心。市民というのは便利な言葉。どんな考えの人も市民と名乗れば、それが隠れ蓑になります。彼らはプレイベントの作品が自分たちの価値観に合わないことから、反対運動をはじめたようです。

https://youtu.be/_3P0UKE0LI0

しかし、自分たちが不快に感じたということだけで、その作品を人に見せないという弾圧は行うべきではありません。彼らの言い分は「多くの人が不快に感じている」とありますが、県民全体にアンケート取ったわけでもなく(多分)、話に飛躍があって無理筋というものです。

それについては美術手帖という雑誌に寄稿があります。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21442

まあこれが大多数の県民の意見ではないでしょうか。

私としては県は毅然としてほしいのですが、どうなるのでしょうか。

先般の文科省芸術選奨に、愛知トリエンナーレに文句つける人と主宰者との対話が「芸術とは何か」を考える深い内容として、賞が贈られました。なかなかいい選択だと思います。

文句つける人はほとんど信仰の領域、歴史観も全く科学的ではありません。しかし、残念ながら、人様の信仰はやめさせられないのです。不愉快だけど、早く気が付けよと私は思うばかり。

それと同時に、自分たちの信仰に合わないからと、ほかの考えの人に不寛容なのは人間として間違っていると思います。いろんな人がいて、いろんな考えがあって、自由にモノ言える、それを目指してきた、これからも目指すのが人間の知恵ではないでしょうか。

ある家系を信仰している自分たちは、そうでない人よりも偉いと錯覚していませんか。そんなことはありません。対象が生身の人間だけに、信仰されるご本人たちがそれを望んでいるとはとても思えません。敬ってるつもりで、却って迷惑かけてるかも。

生まれながらにして、人が尊いとか、卑しいとか決してあってはいけません。それが政治に利用されるとき、どんな悲惨なことが起きるか、前世紀にさんざん見たのではありませんか。

オシフェンチム(アウシュビッツ)とビルケナウの広大な収容所跡を見た私は、人を生まれで区別する人たちが身震いするほどに嫌いです。この不快感、どうしてくれるのよと「市民の会」に言いたい。

ああ、きょうもまた熱く語ってしまった。肺炎騒ぎで近くの買い物だけ、時間あるのでつい書いてしまいました。

県の事前検閲、やめてもらいたいものです。それするなら、県美展だって、審査のほかに委員会作って展示の可否決めなければ片手落ちというものです。

コメントは認証制です。あなた様の貴重なご意見も反映しないことがありますので、どうぞ同じ考えの人たちとよおーく話し合って、美術手帖に負けないくらいの理論武装されますように(無理だと思うけど)。よろしく。

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コロナウィルスより無策な政府が怖い

2020-02-29 | 随想

https://news.nifty.com/article/magazine/12193-579805/

で、こんな記事読んで心を落ち着かせているわけです。

体調悪くなってもすぐ検査してもらえるんでしょうか。

感染が分かればすぐ入院治療してもらえるのでしょうか。

今の日本人、みんな疑心暗鬼になってます。

疑心暗鬼からパニックになってます。マスク、トイレットペーパー、など当地でも品薄です。

マスクは見た目の言い訳。手洗い大切。マスクはなくなったら自作する予定。

トイレットペーパーはそれなりに工夫して・・・以下略。

食品は買い占めなくても。パスタとかホットケーキミクスとか。あとはこれから出てくる道端の野草。食べられるものたくさん。ワカメもとる。

で何とか乗り切っていきましょう。

検査したがらないのは、どこかの機関(私が名前失念)が検査結果を一元的に把握しておきたいからと、それは何のためでしょうか。研究者としてのエゴ?

福島の放射能は完全にコントロールされていると嘘言ってオリンピックもってきた人です。今度は日本の感染者は多くないと言って、オリンピックを強行するのでしょうか。そのためには都合悪いこと隠しているのでは。と疑心暗鬼になって、国民が怖がっているのです。

いいも悪いも全部さらけ出さないと危機管理は始まらない。その能力がないのではと、とても怖い。そっちの方が私は怖いのです。

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ケンカした人と和解・・・したのかな

2020-02-29 | 随想

10年前でしたね。前のブログで記事見つけました。

私の着ているもの、身に着けているものにいちいち口出しする人がいて・・・

どんな口出しかというと、

「**さんは賢いから質素な服装している」とか、「私ならもう少し派手な着物着る」とか。

何度も言われたので「なんで面と向かって人の着ているものにそんなこと言うの」と抗議したら、「悪気はない。思ったこと言っているだけ」と言われ「それで人がどう思うか考えたらどうですか」「いやアドバイスしているだけ」と全然謝らないので大喧嘩になって、それきり会わなくなった人がいました。

他人と喧嘩するなんて・・・とわが身を反省し落ち込みましたが、ぬあんと昨日、道でばっりその人と会ってしまいました。

知らんふりしててもよかったのだけど、「お久しぶり」とあいさつして10年前のこと、私から謝りました。

「ううん、私が何でも思うこと言ってばかだったから」とその人も言ったので、しばし昔話して別れました。

悔しい気持ちは今でも残っているけれど、人と喧嘩したらずっと楽しくないので、いい経験になったと思います。

それとあまり人の心をざわつかせるような変な恰好しないことですね。特に外では。

しかし、私は人と同じことしていたいというよりは、人と違ってなんぼというタイプの人間なので、これからも着物は着ると思う。

着物着るだけであれこれ言われるなら、和服の将来は暗い。

先日久しぶりに着物着ていたら、夫が「帯、もっと締めたら」と言うので「別に緩く締めてるわけじゃない。中身が入ってる」と説明。中身とは補正用のタオルなどではなく、私のお腹です。

もう傷つかないけど、その言い方はないやろ。妻、立腹。


昨日、友達がラインに登録した。

いまだガラケーの人だったはずなので、スマホデビュー、ラインデビューおめでとうとラインしたら、タブレットでどうたらこうたら。ガラケーはガラケーらしい。でもまあ、用は足りるのでこれからもcメールする予定。


なるだけ出歩かないようにしているので退屈。家でできることすればいいんだけど、気合が入らない。昨日は近所の別の人にひな人形見てもらった。

子供のいないその方はひな人形大好きだそうで、とても喜んでくれた。よかった、よかった。

貰い物にヤフオクびな、正式に買ったのは一つだけ。

あともう二人だけ、近所の方をお呼びして、今年はひな祭りの集まりは自粛するつもり。ちょっと寂しい3月です。

四年くらい前。

みかんおいしいねえ。パクパク。ばあばも。

おはなおいしいね。パクパク。ばあばも。

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休校より検査の拡充

2020-02-28 | 随想

いきなりの全国一斉休校。特別支援学級を含めた小中高。

いやあ、びっくり。そしてばあちゃんは怒り呆れる。

今の時代、全日、大人が在宅している家庭は稀。子供だけで家にいて、子供だけで出かけて事故などある方が私は心配。

それより、心配ある人を検査し、感染している人と医療をつなぐことに力を入れていただきたいもの。

韓国では、全国何百か所も検査する場所を作っているそうですが、日本ではなぜしないのでしょう。

無能、何もしないと言われて、やる気を見せたのでしょうか。いゃあ、何とも。

教師をしていた経験から言います。頭のいい子はほんの一握り。成績が悪いのはそれ自体では本人の属性、良くも悪くもありません。

しかし能力のないものが過大な責任ある立場につくのは一種の災害。

いまするべきは何よりも検査の拡充と、医療体制の早急な準備。

この国には中国や韓国をバカにする人が一定程度いますが、あっという間に病院建てた中国、検査体制と情報開示が進んでいる韓国、見習う部分はたくさんあるはずです。

ばあちゃんもいろいろ思う今日この頃。


今日は不動産の検査依頼しているのに立ち会う。夫は仕事。業者からも立ち合いあり。

不動産の世界では女性蔑視をひしひしと感じる。女だてらに生意気なと、口に出さなくても顔に書いてある。いやだなあ~今からストレス。

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夫と息子がネット検索して・・・

2020-02-26 | 随想

その結果を時々教えてくれるんだけど、なんかこの国はとんでもなくやばいことになってませんか。危機管理が絶対おかしい。

新型肺炎の検査キット、中国から大量に無償で届いたらしいけど、届いたと報道もないし、受診のハードル上げて、疑いのある人への検査を抑制しようとしているように見えます。私の思い過ごしならいいけど。

検査キット、国産を開発するのにこだわって外国から買うのが遅くなっているって本当でしょうか。それは製薬会社を儲けさせて裏でマージン受け取るつもりだから?

イタリアでは、病院に行かず救急車が家に出向いて検査すると聞きました。韓国では仕事を休む人には国が休業補償を出すそうですね。これは自国民だけではなく、外国籍の人も一律、この施策には私はちょっとしびれました。何十年も休戦状態の国は緊張感が違うのでしょうか。

非常時にこそ、上に立つ者の度量、器量が問われます。能力もやる気もないのでしょうか。連休には稲田朋美議員の誕生パーティに出ていたとか。

この先も日本人でいるしかないのがつくづく恥ずかしくて心細い。それともどこかの国へ逃げますか?

民主党政権の時、福島の事故のすぐ後に、菅総理大臣が東海地方の浜岡原発を止めさせたことを思い出しました。その時の会社の「首相の言葉は重い」というコメントが記憶に残っています。せめてあのくらいの思い切ったこと、してほしいものです。

私の素人考えですが、既存の病院とは別に新型肺炎の検査に特化した施設を設定すればどうでしょうか。使われていない建物施設だとか、臨時休校した学校の体育館などで。

正規、非正規にかかわらず仕事は休みにくからこそ、所得補償はぜひしていただきたいもの。隣の韓国ができて日本ができないということはない筈。

そしてまずは検査の敷居を低くしてもらいたいものです。

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