11月13日記
最近は、やっと爽やかな秋晴れに恵まれた日が多くなってきました。
その青空の下、この週末には、二日続けて長女家と次女家の孫たちのイベントがありました。
忙しいながら、共に心から愉しませてもらった祖母の私です。
一つのイベントには、夫のお位牌を、そっとバッグに忍ばせて出かけました。
この週明けは、中高の同窓会がありましたが、これ以上の外出は、今の私の体力と足の状況ではもう無理。
残念ながらお断りしました。
でも年に一回の植木屋さんが、入ります。
お茶出しなどで、なんだか落ち着かない一日になりそうです。
イベントにおける孫たちの画像は、その記事を書くときに載せます。
今日は、私の娘達の姿の一こまを。
今日は、早速に今回の孫たちのイベントについて綴りたいところですが。
昨日のブログ記事を綴っているときに、近所付き合いにおける過去のつらい経験が思い出されてしまいました。
今日見える植木屋さんにも関係あることですので、昨日の記事の「続」として、先に書いてしまいます。
何故か涙を拭っている次女のMちゃん。
この母親にとってはつらい出来事も、かれんちゃんとっては、子供らしい正直な言動だったのでしょう。
七五三のこの日の顛末は、この記事を書くときにお知らせしますね。
エゴの樹のトラブルにおいては、二人の娘たちの意見に渋々従いました。
まだ娘達が嫁ぐ前のお話しです。
エゴノキを、皆さんご存じでしょうか。
落葉樹ですが、春先から豊かな緑が茂り始め、五月ごろ芳香のある真っ白な小花が数珠なり咲きます。
株立ちにすると樹形がとても美しく、雰囲気のとても良い樹です。
わが家のエゴの樹は、お隣の家との境界縁にある植栽スペースに植えられています。
この地にマイホームを構えたとき、すぐに植えたものでした。
年々大きく成長し、一時は見惚れてしまうほど美しい株立ちの樹となりました。
ところが、その樹が、今は、なんとも寂しい姿に。
確か5本の株立ちでしたのに、2本に減ってしまっているからです。
樹の姿のバランスの悪さは、隠しようがなくて。
私はいまだに、この樹を見ると、つらい思い出が蘇えることがあります。
右端の二本の背丈の高い樹木がエゴノキです。
今日見える植木屋さんが、随分前の過去に私に言われたことです。
「エゴの樹を数本切ってもいいでしょうか?」
深く考えず、私は一瞬快諾しました。
恐らくかなり短くする剪定の事を想像したのでしょう。
ところがさらに詳しくお話を聞いて、とてもとてもビックリ。
Kさん宅側のエゴノキを、株元からすべて伐採する、ということだったからです。
お隣のKさんが、落ち葉が落ちて迷惑だからとの理由による要望のようでした。
私は、とんでもないと思いました。
法的には、そのクレームは問題のない事だったのですが・・・・・・。
その時は心情的に許せない、勝手な言い分に、私は感じられてしまいました。
そのまま無視を通して、一件落着の趣で、その年は終わりにさせてもらったのです。
余りに身勝手と言いたくなる理由が、私には他にもありました。
この地に、マイホームを建て、入居し間もない時のことです。
庭の植栽がはじまりました。
アプローチの両家の階段の中央にある帯状の植栽スペースにも、緑を植えこむことになりました。
どこのお宅も、そこにはつつじと、大きな樹木を一本植えつけておられます。
ですから、私も当然、そのようにしたいと願いました。
つつじが植栽されているところ
けれど、そこは燐家との共有地のようなものです。
お隣さんと相談して決めなければなりません。
わが家より、数か月前に入居されたばかりのKさんのお宅。
高校生と社会人のお子様がおいでのようでした。
その当時は、自家用車はベンツで、裕福なお暮らしぶりが窺えたものです。
まだお付き合いはこれからの私で、この相談が引っ越した翌日のご挨拶以来、初めての個人的な接触だったかもしれません。
ところが、私が持ちかけた相談へのお返事は、私の常識では考えられないような、不愛想なものだったのです。
この続きは、明日に回します。
どうしても長文になってしまう私のブログ綴りの負担を少しでも軽くするための苦肉の策と言ったところでしょうか。
今後は、「続」が多くなるかもしれません。
気を持たせるような終わり方で、失礼とは存じますが、ご理解いただき、変わらぬお付き合いの程を、これからも宜しくお願い致します。
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花のように泉のように