今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

楽観視はできない脊柱管狭窄症

2017-11-10 07:34:18 | 病気

今年の夏は、脊柱管狭窄症といった思いがけない病に見舞われ、一時は、杖の購入も考えた時期がありました。

ところが、今は驚くほど回復し、痛みはむろん、最近は痺れまでなくなり、元の健康な体に戻ってしまいました。

健康寿命がついに終わってしまったと、不自由な生活を覚悟した頃が嘘のようです。

整骨院の先生からは、私の体に、回復力がまだ十分あるのでしょう、と嬉しいお言葉まで頂戴しました。

 

いつかネットで、この病の詳しい解説を読みかけたのですが、なんだか怖くなってやめてしまった私です。

ネットの情報は、必ずしも当てにならないですから。

清濁混合とよく言われますものね。

 

もう私のような年齢になると、余分な知識(怪しげな情報、と言えばいいかしら)は増やさないで、できるだけシンプルに生きたい。

なるようにしかならないので、医師の言うことだけを信じて、病に臨んでいこうと思っている私です。

ですから健康食品とかサプリメントも、私はあまり好みません。

そのような商品が溢れていて、何を一番信じていいのかもよく分りませんから。

 

最近買った草花です。
庭作業の姿勢は、腰によくありませんね~
気を付けなくては。

 

ところが、一番頼りにしていた、整形外科医院の先生のお話が、二転三転して、一時期本当に困り果てました。

最初は、圧迫骨折と、また言われ、前と同じところでしょうかと訊くと、なんだか曖昧な返事。

その後しばらく、数種の薬の服用で、すっかり回復した時期がありました。

 

それで気を良くした私は、お盆の墓参で、四時間半、新幹線に乗車し夫の菩提寺へと。

お墓参りの後、久し振りに平和公園界隈を散策しました。

数時間の事です。

 

翌日は、夫の親せきのN先生御夫妻を訪問。

ご年齢は、90歳近くになられ、もちろんお仕事は引退なさっていますが、産婦人科医として、長い間活躍された方です。

そのため、私は今でも先生と言っています。

この先生のお手紙が、最近私の心境に大きな変化をもたらした。

少々落ち込んだと言ってもいいのかもしれませんけれど。

このことについては、後で触れたいと思います。

お会いしたときは、足の激痛が治まり元気になった時でしたが、それまでの症状をお伝えし、色々アドバイスも頂きました。

脚に塗る軟膏のお薬まで頂戴して。

 

 

先生のお宅のご挨拶を終え、その足で駅へと向かい新幹線に乗車。

横浜に戻りました。

その日まで脚に痛みが再発するような事は一切なく、健康そのものだった私です。

ところが、その翌日当たりからでしたでしょうか。

脚が、また痛み始めたのは。

日に日にひどくなり、また整形外科医院に。

 

すると、前回の診断名、圧迫骨折が、強度のヘルニアに変わりました。

次女のお婿さんから、あまり評判が良くないと聞いていた医院でしたので、さすがに不安になり、見切りをつけることに私はしました。

その場で、大きな病院への紹介状を書いていただきました。

一週間前に撮った、MRIの画像も持参して、総合病院に、翌々日でしたか出かけることに。

妹に連れ添ってもらいました。

その時は、歩くのもやっと。

病院へ向かう車の中での妹との話は、杖の話でもちきりだったようにも。

 

ハンギングバスケットに植えるつもりだけれど、水遣りが怖い。

 

でもどこか呑気で、楽観的性分の私の事です。

然程くよくよすることもなく、必ず良くなるとの思いもありました。

一度よくなった病状でしたから。

一度あることは、二度あるあるとの思いで・・・・・・。

 

ところがレントゲン撮影をし、MRIの画像も見ての医師の診断は、脊柱管狭窄症。

初めて耳にする病名でしたが。

予想外に、厳しいお話。

手術か、或は対症療法で凌ぎ、これまでの生活を10割とするなら、6割に落とさないといけません、と。

手術をしても必ずしもう良くなるとは限らない。

手術の選択をする人は、よほど行動的な人、スポーツ好きの人のようです、とのお話。

 

私はほとんど迷いもなく、保存して暮らす道を選びました。

それは正解だったようです。

その後、一進一退の一時期もありましたが、秋を迎えた中頃から、みるみる回復。

今では痺れも、すっかり消えてしまいました。

もとの元気な体に戻ったと言っていいでしょう

 

脊柱管狭窄症の診断を受けてからは、整骨院に週二回通うようになりました。

この通院も、私の頭の中では思いも浮かばない事でしたが、お歳が86歳になられるご近所の奥様とのバス停での出会いがもたらしてくれたものです。

長くなりますから、神さまのお恵みのようなこの出会いについて、と整骨院の施術の詳しいお話は、また何時かお話したいと思います。

 

この奥様の紹介で通い始めた整骨院の施術のお蔭かもしれません。

しばらく一進一退を繰り返していた脚が、ある日突然完治したかのように良くなりました。

 

まだ、どこかに不安な気持ちが少しだけくすぶってはいたものの、この調子なら、今まで通りの暮らしが送れる。

時には、また旅行も楽しみたい、と思うようになっていました。

ところが、それはぬか喜びだったのでしょうか。

最近、怖~いお話を伺い(ちょっとオーバーな表現のようにも)、数日間、少々気分が滅入りました。

 

ヒューケラ

ベンチの両脇に置くつもりです。
元気で大きく育ってくれますように。

 

中高時代の友人から電話があった時のことです。

ご主人様は、今はもう退職されましたが、整形外科病院を経営し、医療で地域に貢献された外科医でいらっしゃいました。

そのご主人様が、脊柱管狭窄症を患われ、二度手術をされたのに、経過が思わしくなく、今は車イス生活になられたとのこと。

 

もう一つのお話は、前述で触れた夫の親せきの元産婦人科医院の先生から最近届いたお手紙の内容です。

私が差し上げた手紙で、手術でなく、対症療法の道を選択したことをお伝えしました。

それに対して、

「その選択は正解です。

腰の手術をして、良くなったという話を聞いたことはほとんどありません」

と書かれていました。

この二つのお話を伺い、楽観的に受け止めていた自分の病気が、軽んじると、今度こそ健康寿命が終わりを告げるような不自由な生活になるかもしれない、と、私は痛感することとなりました。

 

でも最悪の事態になる前に、色々なことがぼつぼつ分り始め、私はやはり運がいい人間なのかもしれません。

自分は、研究熱心とはいえず、色々な情報を取り入れることを、敢えて避けているようなところもありますが。

整骨院の施術のお話にしても、この度のお話にしても、実に良いタイミングで私の耳に入り、今後の暮らしの最適な助言になってくれています。

健康寿命が少しでも長引くように、無理はし過ぎず、だからと言って、活動を落とし過ぎずないようにしましょう。

そして、わたしの今の体に合ったほど良い暮らしをしっかりと身に付け、「今が一番素敵」の思いで、夫への感謝の日々を紡げるように努力したいと願っています。

 

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