二日間の遠方への外出で、疲れ切ってしまった私ですが、何とか元気を回復。
叔母の葬儀の余韻に浸りながら、月末ゆえ、昨日は家計簿の収支の決算をしました。
この家計簿は、亡くなった叔母を思い出すよすがに、今後はなることでしょう。
このことについては、後で触れることに致します。
今月も、収支は予定通り。
節約の甲斐があり、十分な黒字で終わりました。
一月は一期分の固定資産税と、火災総合保険を一括で支払う月ですが、この金額は12等分して、家計簿に私は記帳しています。
余剰金は、貯蓄、旅費、保健衛生費(化粧品等の経費もこの項目に入れています)その他の娯楽費、の四つの項目の予算に上乗せする感じで、私はいつも振り分けます。
けれど、計算するたびに、月末の残高として出る数字が異なり、次第に頭が混乱してしまう私。
決算の家計簿をつけているときほど、自分の頭の悪さを痛感する事はありません。
婦人の友の家計簿と当座帳を自己流に使用もし、内容が複雑化してしまっているからでしょう。
遺族年金暮らしなのに、よくお金が残るわね?と不信を買いそうですが、私は見栄を張って嘘などついているわけではありません。(笑)
本当の事です。
私が日ごろ、無駄な出費をしないように、精いっぱい心掛けている成果だと思っています。
食材のような日常品と、化粧品のような必需の美容代以外、めったに買い物はしませんから。
多少高価でも、良質のものを買うスタンスは今も変えていませんが、それも年間の予算の範囲内で収まるように、しっかり計算したうえで、購入します。
衣類費が時々赤字になりますが、そのような時は、その赤字を埋めるまで、新しい服は買いません。
私の予算生活は徹底しています。
私の今の収入は、夫がいたときの半分以下。
夫のアメリカ年金がほとんどいただけるといった幸運もあり、一般の方の遺族年金よりは多少は多いかもしれません。
主人が亡くなり、夫の国民年金は消え、厚生年金の四分の三と、私のわずかな国民年金、それに夫のアメリカ年金。
他に多少の手当てがあります。
それをすべて合わせると、夫婦の平均年金受給額より、数万多いくらいでしょうか。
夫は、企業年金の収入が厚生年金より多いくらいでした。
ですから、その企業年金を全くいただけなくなった今、私の生活費は激減しています。
でも先程も記しましたように、贅沢や無駄をしなければ、十分暮らしていけます。
過去にも記事の中で触れたことがありますが、私には云十万の家賃が副収入で入り、老後の暮らしは悠々自適に送れるはずでした。
50代の後半に、マンションを購入し、手付まで払っていましたが、結婚を目前にした長女夫婦が、そのマンションを大変気に入り、結局二人が新居として買うことに。
その後に待っていたのは。いくら後悔しても悔やみきれない、私の愚かな行為でした。
その千万単位の多額のお金を投資に回し、水泡と帰しててしまったのです。
今でも、たまに、その家賃の副収入があれば・・・・・・、と思い、チョッピリ情けない気持ちになることもありますが、如何に悔やんでもどうにもならない事。
割り切りと諦めは早い私です。
娘達に、この件の隠し立ても、一切していません。
ですから、今の私は、現状を自然に受け留め、遺族年金の収入の範囲内で、慎ましく暮らすことに、何の不満もストレスありません。
そして、今の私の暮らしをしっかり支え、応援してくれているのが、婦人の友の家計簿と当座帳です。
今回の記事の話題に、家計簿を取り上げたのは、月末ということもありますが・・・・・・。
それ以上に、亡くなった叔母への感謝の気持ちから、と言っていいでしょう。
実は、この家計簿を薦めて下さったのは、叔母さまだからです。
叔母は、この家計簿を発案した羽仁もと子の書籍が母体となり結成された「婦人の友の会」のj会員で、長い間いらっしゃいました。
そして、若い頃から色々と活躍してこられたのです。
家計簿以外に、当座帳、主婦日記、婦人の友、その他色々主婦向けの書籍が刊行されています。
とてもためになる充実した内容です。
私は今後も、認知症を患わない限り、この家計簿のお世話になり、堅実な予算生活を送りたいと願っています。
私の人生で巡りあった良きものの、屈指に入るこの家計簿。
薦めて下さった亡き叔母さまのご冥福をお祈りし、改めて、心からの感謝と敬意を、表したく思います。
2月2日朝からの記述
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