美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

京修(酒甕)(安成三郎)

2023年03月12日 | 瓶詰の古本

 京修は幷州県の酒屋です。非常に酒呑みで、世間態など少しもかまわず、呑んだくれ、少しでも醒めかけると、直ぐ誰彼の見さかい無く対手にして飲み始めるという悪い癖があります。大袈裟ですが幷州人は皆修の酒癖と呑んだくれに懼れをなし、対手に誘われても会釈するだけで極力避けます。従つて修には友達というものがまるで有りませんでした。それで始終対手欲しやと独酌のやる瀬無さをかこちながら、朝から呑んで居るのでした。
 或日珍らしくも一人の客が店へ入つて来ました。黒絹の着物に隠者風の黒い帽子を被つた身の丈わずかに三尺有るか無し、又その高さが腰の方へまわつたというような三抱えもあるかと思われる不思議な恰好の人が入つて来て、修の前に立ち酒を呉れといゝます。
修は相好をくづしてすつかり喜び
「マア、ようこそおいでゞした。サアサア直ぐに奥へ。」
と席を改めようとすると、客は笑いながら
「私は生れながらの酒好きでしてね、しよつちゆう呑んで居ますが、まだ腹一つぱい呑んだことがないのですよ。思い切り腹一つぱい呑んだらどんなに愉快だろうと思わないことはありません。今日若し腹一つぱい呑めなかつたら、こゝへ来た甲斐がないというものです。修さん、よく私のお願を容れて頂けますか。私は前から修さんの高義を慕わしく思つて居ましたが、今日は幸に思がかなつておたづねが出来、お目にかゝれて光栄です。」
「いやアよくお出で下さいました。そいつア私も同じことです。お客さんは真にわが党の士というものです。待つてましたア。早速始めようではありませんか。どうぞお上り下さい。御案内しましよう。」
 奥へ通ると直ぐさしつおさえつ呑み始めました。瞬く間にこの客は三斗近く呑みましたが、少しも酔わないので、修は不思議に思うと同時に、これはただ人ではない、世にいう酒仙というものだろうと思いましたので、盃をおいて立ち上り、丁寧にお辞儀して
「お客さんはお国はどちらで、お名前は何と仰しやるのですか。私も随分酒呑みを知つて居りますが、お客さんの見事な呑みつぷりには流石の私も兜を脱ぎましたわい。どうすればそんなに入るのですか、一つ秘訣を御伝授下さい。」
「私は姓は成、名は徳器、この先の郊外に住んで居るんだが、自然の悪戯で、私でもそんなことのお役に立つと見えるね、ハヽヽヽ。私は年をとるに従つて段々に酒の量が進んで来てね、若し腹一つぱい呑むと五斗は入るだろうテ。それだけ入つたらマアマアというところサ。」
 修はこれは素晴らしい酒仙だわいと思つたので、感歎これ久しうした後ドンドン酒を運ばせてジヨウゴを当てがつて流し込むようにして呑ませました。かれこれ二人で七八斗呑んだ頃、さすがの徳器も一時に酔が発して来たと見え、立ち上つて危い足どりでフラつきながら唄をうたい踊り出しました。そうして
「やア愉快々々、ハアコレヤコレヤ」
とドタバタやるうちにバツタリ倒れて了いました。修はこれはほんとうに酔つたのだと思いましたので、家の者に言いつけて奥の部屋へ運んで寝かそうとしますと、再び起ち上つて躍りながら
「おれをどうしようてんだ、ウイー、ハヽヽヽ愉快じやハヽヽヽ。」
笑い上戸らしくゲラゲラ笑つてはなお更暴れ出し、終いには戸を蹴倒して外へ跳び出しましたので皆で逐いかけてつかまえようとした処が、庭の中に在つた石に蹴つまずいてカク然たる音がすると同時に何処へ行つたか見えなくなつて了いました。朝になつて庭を見ますと石の側に古い酒甕が木葉微塵にこわれ、四辺一面酒溜りと酒の香で咽せて了いそうでした。いうまでもなく徳器は酒甕のお化けだつたのです。

(「怪力乱神(中国怪談集)」 安成三郎訳)

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