美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

少し不便だからと詰まらぬ工夫をするより、しないでいる方がそのものへの敬意となることもある(岡本かの子)

2023年03月29日 | 瓶詰の古本

 淺井の郡司は慈恵僧正の檀家先であつた。ある日仏事を営むとて僧正は郡司の家へ招ぜられた。仏事も滞りなく済んでから、齋(とき)の膳が供されることになつた。
 僧正が膳の上を見ると、煎つた大豆に酢をかけたものが鉢に盛つて載つてゐた。僧正は訊ねた。
「煎大豆になぜ酢などかけるのです」
 郡司は答へた。
「もし酢をかけなければ、煎大豆はつるつる滑つて箸にかゝらないでせう。酢をかけると酢むづかりと云つて、大豆の皮に皺が寄ります。それ、箸ではさみよくなるではありませんか」
 すると僧正は笑つた。
「わたしにはそんな事はどうでも宜いですな。煎豆なら投げたものさへ立派に箸ではさんで受けとめて見せますぞ」
 それは真か嘘かの争ひとなつた。郡司は云つた。
「若しそれが本当なら、わたしはあなたの望みを何なりと叶へてあげませう」
 煎豆は郡司の手から、今日の野球の球のやうに、カーヴしたりドロップしたりして投げられた。僧正の箸は目出度くそれを受け止めること泥鰌に対する鶴の嘴のやうであつた。仕舞には郡司は柚をつぶして、その小粒なぬらぬらした実をさへ投げた。僧正の箸はこれを受け止め損じたが、円座の上に落ち果つる途中でまた発矢と受け止めた。これを見た郡司はしばし息さへ出来なかつた。
 約束によつて僧正は、今まで築き兼ねてゐた東大寺の戒壇を築いて貰ふことになつた。
 戒壇は建つた。その前で僧正は郡司や弟子の群に向つて云つた。
「わしにも退屈な青年時代があつて、あんな大豆の曲止めなどいふつまらぬ稽古に精力を濫費したものだ。しかしつまらぬ事でもその核心に徹通すれば、自づとその功力(くりき)によつて生命の大道を呼び迎へる事が出来る。大豆の曲止めが戒壇を建てさしたのは、何よりの現証ではないか」

(『世に無駄事無し』 岡本かの子)

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