ポーがゴシック・ロマンスの余力まだ衰へざる時代に生れ、怪奇と恐怖の作品に於てはその影響を受けながら、突如として、前代未聞の探偵小説といふ文学形式を発明したことは、いくら驚嘆しても足りないほどである。若しポーが探偵小説を発明しなかつたら、コリンズやガボリオーは生れてゐたかも知れないが、恐らくドイルは生れなかつたであらう。随つてチェスタトンもなく、其後の優れた作家達も、探偵小説を書かなかつたか、或は書いたとしても、例へばディケンズなどの系統の全く形の違つたものになつてゐたであらう。随つて現在の形式の探偵小説は今世紀に入つても生れなかつたかも知れない。イヤ、一九四九年の今日でも、まだ生れてゐなかつたかも知れない。(しかし、若しポーが出なかつたら、それに代る別の天才が現れてゐたのではないだらうか。ポーの原型に心酔し、探偵小説とはかういふものだと思込んでゐる我々には、想像も及ばないのであるが、さういふ全く別の探偵小説が生れてゐたかも知れないと考へることは異様なスリルである。それは、将来、ポーの影響力が全く消え去つた時、現在では想像も出来ない全く別の探偵小説が、生れて来るのではないかといふ、可能性に想到するからであらう)
ポーは純探偵小説をたつた三篇、広く考へても五篇しか書いてゐないにも拘らず、その五篇を以て探偵小説百年の大計を建てたのだと云へる。アメリカの評論家フィリプ・ヴァン・ドーレン・スターンは一九四一年「ヴァジニア季刊評論」に寄稿した「盲目小路(めくらこうぢ)の死体事件」といふ諷刺的な表題の論文に於て、「ポーの探偵小説の決定的な構成法は、殆んど変化することなく現代に継承されて来た。彼の哲学的な傍白(わきせりふ)は今日に於ても模倣され、彼の雰囲気の効果に至つては、現代の作家達が希望しながらも、追随し得ざる所である。探偵小説はかの印刷術と同様に、最初発明されたままの唯一の機構の範囲内で、進歩して来たにすぎない。しかもその芸術的価値に於ては、グーテンベルクの『聖書』とポーの『モルグ街の殺人』を凌駕するものを、嘗つて見ないのである」と極言してゐるが、如何にも面白い比喩だと思ふ。
(『探偵作家としてのE・A・ポー』 江戸川亂歩)