美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

落とし前をつけることなど誰にもできることではない

2015年06月02日 | 瓶詰の古本

   落とし前をつけることなど、誰にもできることではない。できることではないからこそ、みんな生き恥をさらして人中に生きているのだ。確信的にこの世界をこのような世界に造り上げ、とりあえずどこか分らぬ組織体から引退したからと言い募って、責任逃れをうまうま上手にやってのけたと自分の頭の良さに酔い痴れているとしたら、同じ人間として、これほどに恥ずかしいことはない。落とし前なんか上手に出来っこないからこそ、みんなようやく恥を忍んで残念を生きているのに。
   恥を知らない人間の深奥の表出などあり得ないものであることは、別個でありながら一つの血族のようにそれぞれが酷似した表情しか提供できないことからも当然に導かれることなのだ。それはおそらく、表層こそが実相であるとされる新たな歴史の痕跡として、いつまでも語り伝えられるに違いない。

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