凡庸な人間は予想に違わず凡庸なことしか書かないし、凡庸なことしか読み取らない。そのなかにあって、なぜか人に抜きん出る技に長けている者もいる。ときに人を逆撫でし物議をかもすことによって強面のイメージを抜け目なく醸成して行こうとする。凡庸を煮詰めたその暴戻ぶりは世間に向けた自己宣伝でもあろうが、同時に仲間内で赫々たる地位を固めるための試金石と捉えている節がある。腹中の本音すら隠さぬ雄弁を広く知らしめることによって、立派な汗をかいているとの評価をかちとることができる。
反響・効果をとことん計算した上で行動する人間に対して、ものの条理とか人としての誇りとかといった借り物の観念をいくら押し出してみても、蛙の面に水となって終るのが関の山である。
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