美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(十四)

2012年07月22日 | 偽書物の話

   「ちょっと中を覗いてみてもいいですか。」
   私は腰をかがめると、本の表紙に手のひらを当ててみた。さらさらとした、微細な和毛のような感触がある。押さえると黒い表紙は冷たくはなかった。
   頁を開くと、縦書きに見たこともない形をした、文字めいたものが書き連ねてある。平仮名とも片仮名ともつかぬ、しかもどこかそれらと似通ったところのある標しが筆で認めてある。さらに頁をめくって行くと何頁おきかに、夜の町の暗い底からあかあかと燃え上がる炎を描いた絵図がはさまっている。その絵図は、どうやら同じ情景を次第に大きく引き伸ばしていったものらしく、筆はいつか、火につつまれた家屋の前を横切る一つの人影を捉えている。
   左手に抱えている箱のようなものは、書物とも見える。人物の首から下、泳ぐようにして駆け出しているその半身は、強烈な炎の明かりを受けて黒い煙の刷毛と化している。わずかに男の顔がこちらを向いて、内心の恐怖をあらわしている。

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