マンドレーク(曼陀羅華)は、朽ちた棺桶や腐つた骨などから生えると言はれてゐる悪魔的な毒草である。
昔から、この毒草を採取することは、非常に危険でもあり、また罪深いことだとされてゐる。人がもし、その昔からの戒めを破つて、この毒草を根扱(ねこ)ぎにするならば、この毒草は引き抜かれる途端に物凄い叫びを発し、その叫びを聞いた者は、恐怖の余り即死すると信じられてゐたのである。
しかし、時を経るに従つて、人間の智慧は、美事に、それしきの戒めや嚇しの裏を掻くやうになつた。それは、まづ、だんだんに曼陀羅華の周囲(まはり)の土を取り除け、その根株をゆるめ、それから一本の丈夫な糸の端をその茎に縛りつけ、その糸の他の端は飼犬の頚環に縛りつける。そして、自分は、蠟(らふ)で両方の耳の穴を固く塞ぎ、件の飼犬を呼び立てながら、さツさと歩き出すのである。忠実な犬は、是が非でも主人の後について行かうとし、糸は弓の弦の如く張りきり、遂に魔草曼陀羅華は呆気なく地中から引き抜かれてしまふ、といつた仕組みである。
その際、気の毒な犬は、この魔草の恐ろしい叫びを聞いて、一堪りもなく斃れるものと信じられてゐた。また、かうすれば、魔草の祟りは総て犬に行き、人間には何の障りもないものと信じられてゐたのだつた。しかし、こゝに不審に堪へないのは、何故に、曼陀羅華採集者は、その愛犬の耳の穴をも蠟で塞いでやらなかつたのか、といふことである。
さて、一旦引き抜かれてしまつた曼陀羅華は、もはや人間に害を及ぼすどころか、人間にとつて無上の霊薬となり、或ひは人体内に魅入つてゐる悪鬼を逐ひ出し、或ひは死者を蘇へらすと言ひ伝へられて来たのである。
(「世界旅行奇譚史」 平路社編)