おれの頭はあまりえらくないのだから、何時もなら、相手がかう云ふ巧妙な弁舌を揮へばおやさうかな、それぢや、おれが間違つてたと恐れ入つて引きさがるのだけれども、今夜はさうは行かない。こゝへ来た最初から赤シヤツは何だか虫が好かなかつた。途中で親切な女見た様な男だと思ひ返した事はあるが、それが親切でも何でもなささうなので、反動の結果今ぢや余つ程厭になつて居る。だから先がどれ程うまく論理的に弁論を逞しくしようとも、堂々たる教頭流におれを遣り込めようとも、そんな事は構はない。議論のいゝ人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。表向は赤シヤツの方が重々尤もだが、表向がいくら立派だつて、腹の中迄惚れさせる訳には行かない、金や威力や理屈で人間の心が買へる者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌ひで働くものだ。論法で働くものぢやない。
(「坊つちやん」 夏目漱石)