大切に庇ふことと気の毒がることの中に、何時も私の最大の危険があつた、さうして一切の人間性は大事に庇つてもらひ気の毒がつてもらひたがつてゐる。
真理(まこと)の調子を低うし、手を真つ黒にし、心を迷ひ狂はせて、そして気の毒がりの小さい嘘をありあまるほど有つて――そのやうにして私は何時も人間の中に住んだ。
彼等の間に私は仮装して住んでゐた、私が彼等を辛抱出来るやうに私自身を見違へる用意をして、そして、「お前馬鹿! お前は人間を知つてゐない!」と私自身に、自から進んで説き聞かせつつ。
人間の間に住んでゐると、人間のことは忘れ勝ちだ。一切の人間は前景が多過ぎる――そんなところで遠視・先見の眼が何にならうぞ!
そして彼等が私を見違へたとき、私といふ馬鹿はそのために私自身をよりも彼等を一層大切にした。私は私自身に対しての冷酷さに馴れ、またしばしば私自身に対してこの他人大事がりの仇討をする。
毒蝿で刺し通され、多くの「意地悪といふ点滴」で、石が穿たれるやうに、孔だらけにされて私は、彼等の間にゐた。それでも私は私自身に説き聞かせた、「一切の小さいものはその小ささで邪気がない!」
「善人」と自称してゐる人を格別に私は、毒蝿だと思つた。彼等はこの上ない無邪気のうちに刺しこの上ない無邪気のうちに嘘を言ふ。どうして彼等が私に対して正しくあり得やうぞ!
善人の間に住んでゐる人に、気の毒がりが虚言を教へる。気の毒がりが一切の自由人に陰惨な空気を作るものだ。善人の陰気はその底が知れないからだ。
(「ツァラトゥストラー」 ニーチェ 登張竹風訳)