美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

「しほ」といふ文字はいづれのへんにか

2021年04月12日 | 瓶詰の古本

 くすし篤成、故法皇の御前に侍らひて、供御の参りけるに、「今まゐり侍る供御の色色を、文字も功能も、尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも、申し誤り侍らじ」と、申しける時しも、六條の故内府参り給ひて、「有房ついでに物ならひ侍らん」とて、「先づしほといふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と、問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才のほど、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と、申されけるに、とよみになりて、退り出でにけり。(「徒然草」 第百三十六段)

 

 旧来の漢和字書を引いていて、いくら見出しを探しても「塩」という字になかなか行き当たらないことについ最近気がついた。部首【土】の部を辿ったり、総画索引でしらみつぶしに検字したりしても行き着くことが難しい。旧来の字書に拠った場合、「塩」なる文字形が【鹵】の部首部内にちゃっかり紛れ込んでいる事例は多々あるものの、上記話柄にある【土】偏部にて見出すことはほとんどない。時代は下るが、『倭玉篇』など各種玉篇類を繙いても同様のことは鮮鋭に確認できる(近年の漢和辞典で「土」の部首部を引けば、当然のように「塩」へ行き当たるかも知れないが)。
 受験参考書などには、想起した「塩」の字は俗字であり正字を以て応じそこなった頓珍漢から、吹聴する学識に引導を渡されたという注釈が少なくないと思われるが、そもそも「塩」という字は部首「土」の部に属する文字と通用されていないのにという、学問の自慢家がうっかり文字の外形に引っ張られて粗忽の答をしてしまった(正字、俗字の別を持ち出す必要のない)逸話としてもっと単純に読んで笑えばいいと小声で一言言わせてもらえたら、一読者限りの憫笑にも値しない粗笨な独り言なりでケリはつく。

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