美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

まさかのアシカかアザラシを人魚に擬して大いに騒いでも、それが算盤ずくのことでなければ罪のない笑い話として喜ばれるのだが(高島春雄)

2024年02月14日 | 瓶詰の古本

 去る昭和四年九月新聞紙上に斯ういふ記事を見つけた。「人魚捕獲 頭は犬、顔は人間、尾は魚」と云ふ標題で「高知電話 去る六月以来高知県宿毛港外の漁場を荒し廻る怪物あり、大島漁業組合その他で県に捕獲願を出しこれを捕らへんとあせつたが怪物は全く神出鬼没で天気のよい日などは海中の岩の上に腰をかけ人を愚弄するなど滑稽味を見せてゐたが、あだかも魔の如く近寄れば海中に姿を没し手に追へなかつたが、十九日午前十一時半頃宿毛町大島漁業組合員が今日こそ捕らへんものと大島へ乗り出し鹿岬附近で怪物を発見し網を張り廻し漸くこれを捕獲し歓声をあげた。怪物は頭は犬に似て顔は人間、尾は魚で廿貫以上もあり人々は人魚と称してゐる」とある。動物学を齧つた人なら此の怪物が海獣の仲間でそれもアシカかアザラシあたりではないかと大体見当がつくのである。「尾は魚」といふ点が心配になるがアザラシなら後肢は魚尾状に見えるので尾と間違へたのかも知れない、アザラシ計りではない、アシカやオットセイが後肢の蹠を見せて之を扇の様に動かすのを尾と見誤る人が多いに相違無く、小学校の國語読本(海豹島のオットセイの條)にさへ尾となつて居るのはどうかと思ふ。何とかして此の正体を知り度いと念つて居る内烏兎匇々昭和八年になつたが、同年四月三十日靖國神社の臨時大祭に参拝して境内狭しと立ち並ぶドンチャンに注意してみると、昭和四年高知県宿毛港で捕れた「海の怪物」を供覧して居るのがあり、看板には荒模様の海中から大海坊主が顔を顯し、幾多の漁船は之を囲んで捕獲に努めんとする振天動地の活劇場面が描かれてゐる。昭和四年に高知県なら永らく関心を失はなかつた上の記事と符合するから、すつかり悦んで入場してみるとおやおや中には海豹(あざらし)が一頭居た。之が実に高知県下の人魚の正体であつた。仕込まれたものと見え両前肢を交互に使つて横腹をペタペタ叩いて見せるのが御愛嬌である。見世物にしては元気のいい海豹だと其の時感じた。更に歳月は流れて昨年四月三十日靖國神社大祭の折、再び右の絵看板を目当てに入場して嘗ての海豹氏の健在を確かめようとしたら、いつの間にか先代は死んだと見え二代目を相続して居たのは驚いたことにアシカであつた。何処で捕れたアシカか知らぬが後から斯んな目覚ましい経歴を背負はされてアシカらずなどと恐縮して居るかも知れない。

(「動物 脊椎動物」 高島春雄)

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