私が初めてエドガー・アラン・ポーを読んだのは、大学にはいってからであった。文学青年ではなかったのでポーの文学史上の地位を知らず、ふと「黄金虫」を読んだのが病みつきとなり、乏しい語学力で難儀をしながら、ポーの諸短篇を読んだものである。同じころシャーロック・ホームズも愛読したが、ポーの方が段ちがいに好きであった。
ポーを初読してから、私が探偵小説を書くまでには七、八年の間があった。処女作を「新青年」の森下さんに送るときに、はじめて江戸川乱歩という語呂合わせを考えた。当初は作家になるつもりはなく、ホビイとして書いていたのだから、始祖の名を僣することも気軽にやってのけたのである。作家になってからは、大いに気が引けたけれども、ついこの筆名を捨てかねて今日に至っている。戦後、私の筆名の由来がニューヨーク・タイムズ書評誌その他にのったが、アメリカ人はこのことを別にけしからんとは考えず、好意的に見てくれたようである。
(『始祖の名を僣す 鏡浦書房版ポー選集の発刊にそえて――』 江戸川乱歩)