美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

栄誉を求めるのは、おそらく自分を完全に失うことである(フロベール)

2021年09月09日 | 瓶詰の古本

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 ひとがある価値を持つてゐる時、成功を求めるのは快楽のために自分を滅茶々々にすることであり、栄誉を求めるのは、おそらく自分を完全に失ふことである。

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 芸術は星と同じく、己れの碧空にきらめきながら、身動ろぎもせずに回転する地球を見てゐる。――美は天空からはなれることがない。

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 この事を認めやう、――どのやうな美しいものも知られないまゝではゐないのだとしても、醜行が喝采され、馬鹿者が大人物として通り、大人物が白痴に比較されたといふことがありえなくはないのだ。

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 才能のない芸術家、そこに上陸もせず又そこに自分の旗を打樹てることもなく、一生の間美に沿うて進む乞食ほど、地上において無価値なものはない。

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 金儲けのために芸術を造り、大衆に阿ねり、名声や金銭のために陽気な或ひは哀れな諧謔と切売りしてゐる。……芸術家は人間の中の第一等の人間だと私には思へるといふ同じ理由から、職業の中で最も賤しいものがそこにある。

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 作家の書架は、毎日読返さねばならぬ典籍五冊乃至六冊で出来てゐるべきである。その他の書物に関しては、それらを識つてゐるだけでよい、そしてそれ丈けで十分だ。けれども読むのには色々な読み方がある、そしてよく読むのにはそれだけの精神が必要だ!

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 されば、もう愛すまいと思つてゐる人々をさへも、ひとはなほ愛するのである。――如何なるものも完全に消滅するものではない。火のあとの煙は、火よりも永く続くのだ。

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 絶望の時にはいつも希望することが必要だ、そして希望の時には疑ふことが。


(「随想録」 フロオベエル 向田悌介譯)

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