美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

今月妖言あり、疫神横行すべし、都人士女出行すべからず(喜田貞吉)

2021年07月01日 | 瓶詰の古本

疫病神を「西の海へさらり」と流すと云ふ事、其の由来頗る古し。一條天皇正暦五年、京都に疫癘流行して人多く死す。本朝世紀四月二十四日の條に記して曰く、
 今日左右看督長(かどのちよう)等宣旨を被る。京中路頭に借屋を構へ、筵(むしろ)・薦(こも)を覆ひて病人を出だし置く。或は空車に乗せ、或は人をして薬王寺に運送せしむ云云。然して死亡者多く、路頭に満ち、往還の過客鼻を蔽うて之を過ぎ、鳥犬肉に飽き、骸骨巷(ちまた)を塞ぐ。
と。惨状見るべし。又五月三日の條には、
 京中堀水溢る。検非違使(けびゐし)等看督長(かどのちよう)に召し仰せ、京中の死人を掻(か)き流す云云
同七日の條には、
 又去る二月以後疫癘に於て病死の輩幾千なるを知らず、種々祈祷ありと雖其の應なきに似たり。路頭の死人伏体連々たり。
とあり。此の疫癘は啻に京都のみならず、遠く九州地方にまで流行を極めしものと見えて、同月十日太宰府言上の解文(げもん)にも、
 去年中冬以後今日に至りて疫癘已に発し、府中静ならず。又以て官・国人民夭亡せんと欲す。而して其の災弥々倍(ま)し、病患未だ止まず、遠近の路辺死人満塞す。
と見ゆ。蓋し、初め四年十一月の頃に九州に起りて漸次東進し、五年二月頃より京畿に流行するに至りしものならん。当時衛生思想の未だ進まざるに際し、此の悪疫の猖獗に遇ふ。惨状思ふべきなり。されば人民甚しく恐怖の念に駆られて、流言訛伝相ついで起り、業務を擲ちてたゞ免(まぬか)れんことを之れ祈る。同書六月十六日の條に曰く、
 今月妖言あり、疫神横行すべし、都人士女出行すべからず云云。仍て上卿以下庶民に至るまで、門戸を閉ぢ往還の輩なし。
と。斯くて二十七日の條に至り、
 此の日疫神の為に御霊会(ごりようえ)を修せらる。木工寮(もくりよう)・修理職(しゆりしよく)、御輿二台を造りて北野船岡の上に安置し、先づ僧侶を屈して仁王経を講ぜしむ。城中の伶人音楽を献し、会集の男女幾千人と云ふことを知らず。幣帛を捧ぐるもの老幼街に満つ。一日の中に事了(おは)り、此の山境に還り、彼より難波の海に還し放つ云云。此の事公家(くげ)の定めに非ず、都人蜂起して勤修するところなり。
とあり。此の疫神を難波の海に放つと云ふもの、即ち所謂「西の海へさらり」なり。

(「讀史百話」 喜田貞吉)

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