↑のタイトル画像は、JR久大線の豊後中川駅のホームから撮った写真だ。昨日。
一年のうち、山に色がつく時期だ。山笑う。その笑う山も畑も人家も駅から直接つながっている。
ここらは人と接するほうが困難だ。
豊後中川駅
画像左の草原には列車の離合のための待避線があったようだ。木々にはいろんな色の花が咲いていた。
町では土地が空くとすぐナントカ広場だとか、交流プラザとか作りたがる。この駅はなーーんにもする気がない。とってもいいことだ。
ほったらかされた自然は結構年月によって淘汰され、さくらやモモやモクレンや山吹、つつじ・・・ 眺めの良い公共の庭になった。
この国はどこでも舗装したがるが、人は土の地面の上を歩きたいのだ。
ここの近くにお地蔵さんがある。ご利益があるそうで、うわさはうわさを呼び諸説飛び交い、話は膨らんだ。
あまりにも多くの人が押し掛けるので、高速道路にはインターができ福岡(天神)からは直行バスが日に何本も通う。
だれかどうかしてくれ、こんな苦しい人生は嫌だ、・・・そう思っている人は多いはずだ。だが現実を認めるのは嫌だ。そこで仕方なく、ふだんはその苦痛から目をそらして生きている。
しかし、心のどこかに引っかかっているから、「あなたの心の隙間、埋めて差し上げます」というお誘いには弱い。
お願いをひとつに絞って年の数だけ書いてここに張りなさい、なんて。
お地蔵さんがお願いをしただけで幸せをくれるなら、こんないい話はない。
なかには、一生懸命働きますから首にしないでください、というお願いもあった。
願いを書いたお札には人生を凝縮した表現が多い。…じいちゃんの足が治りませんように・・・というのもあった。
お札や絵馬に住所氏名を書くのは気願成就のために必要なことだと言われた。他人に自分の悩みをさらせるなら、解決してやろうか、とお地蔵さんが言っているのだそうだ。
この壁一面に張られたお願いは、ずる賢くゼニもうけをしようというチンピラにとっては情報の宝庫だ。
何年か前、ぼくは友人とここに来て「おみくじ」を引いた。ぼく自身はふだん半信半疑の状態だ。
ところが、切羽詰まってくると何でも見境なく信心する。強がっても人は弱い。少なくとも僕自身は弱い。
友人がおみくじを引こうとしたそのとき、お金を入れる前におみくじ販売機からおみくじが落ちてきた。ああ、こりゃ儲かったと思っておみくじを開けるとなんと「大凶」。
落ち込む友人を何とか慰めてもう一回ひかせた。
するとまた「凶」。
ぼくは巫女さんに、「よーっと混ぜんとでけんよ(よく混ぜないいけないよ)」、といった。
その時の巫女さんの言葉にぼくらは凍り付いた。
「うちは凶、大凶はいれていません」
3日後、友人の母が死んだ。
近所の農家のおばちゃんが参道に店を出している。百軒ぐらい。ぼくはよくそこでマタタビとかイチョウを買う。煎じる。
マタタビは関節痛に絶大な効果があり、イチョウは頭が良くなる。家族に必要だ。ぼくは必要ない。