か ら け ん


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そしてまた走ります。

松橋事件(まつばせ・じけん) 2

2018年10月12日 | 裁判

松橋事件(まつばせ・じけん)について書くのは二回目だ。

 

裁判のやり直しを求めること自体おそれ多くもお国の司法機関が判断したことにたてつくことだ、けしからん、反体制的だ、左翼的だ、国家の転覆に加勢することだ。ふとどきものめ,と考える人が多い。なぜだろう。

社会科学的考え方には必ず時間軸がいる。アホにはそれがない。時間軸とは過去の事実の寄せ集めではない。ポイントとなる事象の論理的展開が必要でありそれ以外は付随的なことだ。

欧米では必ず人権の歴史から説き起こされて議論が始まる。再審事件がすべて冤罪であるとは限らない。種々雑多な事件が起きている中で、ありえないほどの、また恐ろしいほどの偶然というものがあるのだ。だからまっとうな判断と思えることの中にも誤判がおこる。

しかし、

そんな一般論で片付くほど事態は能天気ではない。

 

日本では、良心の呵責に耐えかねて死刑囚が別の殺人事件を告白すると、慌ててさも自然な予定だったかのように装いつつ首を絞めて殺し口封じをする。

日本人特有の形式論やお上絶対論がはびこっていて、その中でいい気になるのは、民主主義の何たるかをその発展とともに時間の流れの中で権利獲得過程として理解してないからだ。

 

検察は被告人の貧困に目を付けた。国選弁護人は、弁護費用を国からもらうが例えば500万の投げ渡しでその中から弁護活動をする。すると熱心に調査、資料収集、接見、訴訟組み立てを行うと自分の収入が減る。松橋事件の国選弁護士はわずか2回の接見しかしていない。無罪の線で行く(公判を進める)と公判回数が増えるので情状による減刑で公判をやり過ごした。そして失敗し何の減刑も勝ちとってない。

そうなることを見越した検察は賢い。物的証拠をありえないことに焼却、廃棄、紛失、隠ぺいした。そうすると自白のみが唯一の証拠だ。その場合被告人を有罪にできないことは憲法に書いてある。まだ憲法改正はあってないからこれは有効なはずだが、自白一本で有罪になった。

最高裁裁判官は内閣が任命する。つまり司法試験は関係ない。外交官や日銀総裁がなったりする。長官は安倍より給料が高い。…こういう特権的地位につけたのは安倍のおかげだから、逆らうはずはなく、駆け出しの国選青二才弁護士が国の子分になることを誘導している。国の言いなり小僧には甘い水を、逆らえば煮え湯を飲ませようという体制が着実に出来上がってきた。

そのような国に生きている貧乏で無学の民に救いが来る日はない。

今回よくぞ最高裁は判断した。

個人としては貧乏や無学を理由にぐうたらに生きるのは人間の恥さらしだと思う。ここではひとまず別の話だ。

検察は人の無知を良いことに物的証拠を隠し、弁護士は収入が減ることを嫌いまともな弁護活動をしていない。 ただスムーズに結審になることを期待した。

 

そして33年後、

おそらくこれだけの新たな状況証拠がそろえば疑わしきは罰せずの原則は貫かれるであろう。

恐ろしいことに、検察はこの期に及んで証拠をすべて出してはいない。検察に対し公判後ですら証拠の開示が義務付けられていない国が民主国家だろうか。可視化もまだだ。

検察は社会正義の実現が使命である。騙しやすい人をだまして犯人にしたてあげ、別の真犯人の証拠を握りつつもそれを隠して、いかに社会正義は実現するのか。


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