熱中症におびえつつ収穫。
トマト、ミニトマト。売ってるのよりは美味しい。
きゅうりもできた。鮭とレタスは購入。
庭でできたものはなぜだか昔の味がする。美味しいと思うのはなぜだろう。
今、生活は便利になった。が決して良くなってはいない。昔は、料理に手間と時間をかけていた。美味かったはずだ。
今やそんなことはできない。共稼ぎでないとやってけない。子供は他人に預けて育てさせる。出来合いをチンして夕食と称する。
僕らは貧しくなっている。知らぬ間に、巧妙に、着実に。
自転車キャンプに行って再び蕎麦に挑戦。
何回も行けば上達する。しかし、ある程度以上に合理性を追求すると、味は確実に落ちてくる。
家庭の料理にとどまらずすべてに言えることだ。ゆっくりとした変化は見落としやすい。だんだんと食生活は貧しくなった。くわえて、単に稼ぎとか合理性とかその場の快適性とかのみ追及すると、その本質を見失う。ラップに包まれたレタスは、ぼくらをだましている。
スーパーが勝(まさ)っているのは、価格と時間の合理性のみ。その本質、「おいしさ」において劣る。
ので、最低限の利用にとどめる。
…などと理屈をこねていると、「ビビ」がめんどくさそうに言った。